スミレの砂糖漬け 1


Timeline: Inside of Encephalon




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「バン!」
 銃を象る指が、Jr.の赤い後頭部を突いた。
「何すんだよ、アルベド」
 不機嫌を顔一面に浮かべて振りむいたJr.は、宙に浮くアルベドの指を加減なく掴んだ。真冬の冷気で凍えた白い吐息が、アルベドの長い前髪を揺らしてゆく。
 クーカイ・ファウンデーション、二十六市街区画。飲食店を始めとした商業施設が所狭し軒を連ねるダウンタウンは、クリスマスをすぎてもなお賑わいを増していた。その表通りから折れた細い路地裏の一角で、二人の青年は手持ち無沙汰にしている。表の小奇麗な街並みと異なり、建物に圧迫された薄暗い路地裏は、ストックホルム市街地の裏を垣間見たかのように、個性的な店舗の裏手口が絶妙のバランスで並列している。中にはJr.行きつけのペーパーブック専門店もあるのだが、今日は残念ながら定休日なのだと、隣のアルベドに零していた。軒並みに組みこまれた『昼下がりの決斗』にあるようなアメリカ西部版中華料理の店先に佇む二人は、隣接する建物の関係者以外は利用しない路地の中、否が応でも目立つ。その上、二人の頭髪は通りすがりの日系老婆が拝んでいくほど縁起の良い紅白なのだから、近辺を根城にしている豚と混ぜられたキメラの黒猫も、軒先の上で彼らを少々警戒していた。
 表通りのざわめきが、木枯らしのように二人の脇を吹きぬける。くん、と鼻を鳴らしたJr.を無気力な目で眺めるアルベドは、気だるげに口を開いた。
「今、世界が終わった」
「はあ?」
 露骨に眉根を寄せたJr.は、間を置いてから大仰に嘆息した。
「そのモーブの眼、腐ったのか。おまえが大人しくしてりゃ、糞みてえに平和な世の中が続いてんだろ」
 アルベドの首から垂れおちたマフラーを巻き直してやりながらぼやくと、当人は「ああ、世の中糞だな」と笑う。「何笑ってんだよ」Jr.がさらに呆れると、アルベドは右掌で揉み潰したらしい一枚の紙片を、Jr.の眼前に突きだした。この中華料理店で口直しにだされたフォーチュン・クッキーの占い紙である。
『世界は4分33秒後に終了します。ログアウトしてください』
 紙片に印刷された文面を一読したのち、Jr.は細めていた目をくるりと回転させた。
「もしかして、ずっと数えてたのか? 四分三十三秒も、真剣に?」
 唖然として目を丸くするJr.の様子に、アルベドはげらげらと声をあげて笑った。常は陰鬱に病んだ眼も、まるで悪戯が成功した子供のように満足だと語っている。ロングカーディガンに覆われた長身かつ筋肉質の体は多少縮こまり、青年を普段より稚く見せていた。自分の反応をおもしろがるアルベドの反応を目の当たりにし、Jr.も不本意ながら苦笑した。「つまんねえジョーク」と、アルベドの手から紙片を摘みあげ、キャンディのように舌で絡めとる。
 紙片といっても、本物の紙ではない。デンプンでつくられたオブラートを加工したもので、主に駄菓子の包装として利用されているものである。長期保存も可能ながら、もちろん食しても害はなく、甘い砂糖の味がする。Jr.の口内に放りこまれた占い紙もほんのり甘く、舌の上で滑らかに蕩けた。世界の終焉を食したJr.は、唇を舐めながら鼻で笑う。
「新年だってのに不吉だな、アルベド」
「おまえほどじゃないさ、ルベド」
「何だと、こら」
 にやにやと笑うアルベドを半分本気で睨んだJr.の背後で、店の傾いた扉が軋みながら開いた。
「くだらない兄弟喧嘩での流血沙汰は勘弁してくれよ。二人とも、俺より年上なんだ」
 店内から顔をだしたのは、三人分の会計を済ませたガイナンであった。慣れた様子で二人の兄を嗜めた青年は、外の冷気に少々身を竦める。
「その服、赤に染めてみろ。これから会うシトリンの小言も長引くぞ」
「おおっと、そりゃ御免だね。シトリンも旦那も融通ひとつ利かねえから参るよな。ユーモアがないっつうか。とはいえ、男三人でランチなんつう今の悲惨な状況よりは、かわいい妹に叱られたほうがましか」
 屋根と屋根に挟まれた空を仰ぎ、寒い寒い、とJr.は大仰に嘆いた。降雪予定のコロニーの天蓋は曇天に設定され、薄雲の狭間から人口太陽の照明が街中へと射しこんでいる。建物の影になった路地は日中でも薄暗い。高層ビルの合間を抜けた光の筋が歩きだした男たちを順繰りに照らし、三人分の靴音が路地に反響した。
「おまえに言いよる連中ときたら、まだAからZもうろ覚えの女未満だからなあ」
「うるせえよ」
 いちいち野次るアルベドに、Jr.はすぐさま噛みついた。そんなことねえ、と反論するも、アルベドがさも愉快だと歯を見せて笑う様子に、Jr.の立腹はいとも簡単に転倒してしまう。身内に対してどこまでも甘い自分を自覚しているJr.は、照れ隠しに赤毛をかきむしった。
「というか、俺たち三人とも気味悪いほど同じ顔だろ? さほど体格も変わらねえ。俺だって、それなりにうまくやれるんだよ」
「そうだな、口説くのはうまい。そこから先が下手なだけだ」
「ほっとけ」
 ガイナンには冷静に事実を指摘され、Jr.は自棄な調子で吐きすてた。頭髪と虹彩のカラーリングは各々異なるものの、基本的にDNA単位で同一の顔をもつ兄弟であるため、容姿に限った三人の評価はいずれも比肩している。それにも関わらず、女性支持率はガイナンの独走状態、アルベドはアルベドで男女ともに崇拝者が多く、二人の弟に比べると、Jr.はいまだに幼年層と年配層ばかりに人気がある。つまるところ、どこで差異が生じるのかといえば、美麗な容姿から抱くイメージを一掃するほど強烈な個々の外的人格なのであった。要はガイナンの内面が女性の理想に最も近く、アルベドは何をせずとも絶大なカリスマ性があり、Jr.は人好きのする親しみ易さがある愛嬌者、ということなのだろう。
「あーあー昔は良かったぜ」
「おまえはいつでも、その時点より過去がいいのさ、ルベド」
「おまえこそ、言った側から忘れやがる。そもそも覚える気すらねえってのが―」
「その気にさせてみろ」
「馬鹿野郎」挑戦的なアルベドを横目で一瞥し、Jr.が長息する。「大体おまえさ、角がとれて多少丸くなったとたん、今度は好き勝手に転がりはじめるとか面倒なことすんじゃねえよ。うしろのすました弟とか、くそ真面目な妹とか、切れるとおっかねえシェリィとか、口の軽いメリィとか―とにかくだな、おまえが問題を起こすたび、俺が多方面から非難されるんだぜ。わかってんのか、ああいや、わかってるよな。おまえ、わかってやってんだろ。だろうぜ、おまえはそういう奴だもんな、アルベド」
 ぶつくさと文句を垂れるJr.を追いこし、アルベドが不敵に笑う。「ルベド、俺は影踏みが好きなんだ」
 路地の電柱や排水管を無意味に蹴りながら、アルベドは不揃いな石畳の階段を進んでいった。
「逃げる側から追う側に回ったと認めるなら、俺の影を踏んでみろよ」
 Jr.とガイナンのいる坂道からずいぶんとあがったところで振り返りやけに愉しそうに叫ぶ〝You can't catch me, na na na na na! I am Mr.X!〟」遊んでくれと言わんばかりの子供のような男をJr.は憮然と眺めるしかない隣で傍観していたガイナンが苦笑する
「おまえが捕まえてやれば良い話じゃないか?」
「それができりゃ苦労しねえっての」
 まるで他人事のガイナンを、Jr.は横目で睨んだ。「まあ案外、鬼も悪くねえよ。あいつも年中ぐうたらしてるよりは、こうして世界に触れたほうがいいだろ」
 クーカイ・ファウンデーション所属とはいえ、兄弟三人が揃うことは珍しい。二人の代表理事の仕事は以前と大差なく、通信以外で顔を合わせることも月に一度あれば十分であったし、アルベドはパイロットとしてJr.の航海に同行することが多いものの、必要とされるまでは自室で一人有意義に暇を持て余しているか、Jr.に要らぬ干渉をしては反応を愉しんでいるか、のどちらかであった(メリィに色々と世話も焼かれている)。所管するセクションで生活する三人も、愛する夫とコロニーの湖畔に住居を構え、慣れない子育てに奮闘しているらしいシトリンに会うため、こうして連れだって新婚宅へ向かっているのである。
 メインストリートに程近いこの路地裏は、勝手口から出入りする店員の姿やアパートメント用の賑やかな掲示板、頭上高く張り巡らされたロープで揺れる洗濯物など、人々の生活観で溢れ返っていた。新年の特番を流す立体テレビの音に耳を傾けると、家族の笑い声とともに鼻腔をくすぐる温かな食事の匂いが運ばれてくる。あるアパートメントの二階の窓から外を眺めていた少女がJr.たちに気づき、驚きつつも嬉しげに手を振った。Jr.とガイナンが爽やかな笑顔で応じると少女も満面の笑みになり、部屋の中に頭を引っこめた。すぐに奥から「パパ、ママ、裏にガイナン様とJr.お兄ちゃんがいるわ!」と小鳥の囀りのような声が届いたので、二人は顔を見合わせて苦笑した。
「でかくなったな、クーカイも」
 伏し目がちの眼差しで、Jr.は呼吸ごと噛みしめるように呟いた。ガイナンが微笑みを乗せ、ああ、と静かに頷く。
「この休暇も含め、ヘルマーには感謝してるぜ。ま、向こうも今日は存分に羽を伸ばすとか言ってたし、今頃は姉妹と第二ミルチアでショッピング兼荷物持ちかな」
「彼は二人の愛娘から甘えられるのが嬉しいのさ。おまえにまでサンタクロース役を買ってでたがるのは困りものだが」
「どこぞの実父より父親らしいからな。俺らも孝行しねえと」
 Jr.が声をあげて笑う。それは寒風に乗り、路地裏の階段をからからと転がると、やがて二人よりひと足先に表通りへでたアルベドの足元で渦巻いて消えた。漢字の看板や鈴蘭の形をした街灯など異国情緒の漂うアジア界隈では、雑踏に紛れてメリィのような地方言語が頻繁にとび交っている。寄せては返す人の波などお構いなしに往来のど真ん中で立ちどまったアルベドは、やや無気力な双眸でぐるりと全体を見渡した。傲然とした態度で立つアルベドの周囲だけが、絡まりあった糸屑のように混乱している。巻きこまれた人々の注意や文句もすべて無視したアルベドは、路上のチェロ弾きに『ワルキューレ』第一幕・第一場を演奏しろと迫ったり、露店のせいろで湯気を吹くローパオを摘み食いしたり、大道芸中のピエロに「顔にダイナマイトを括りつけろよ」と叫んで冷やかしたりと、表通りの賑わいを愉しんだ。
 表通りを気ままに散策するアルベドが、露店の荷車につなぎとめられた大量の風船を眺めていると、子供たちに風船を配布していたレアリエンの女性に「アルベド様は何色がお好きですか?」と尋ねられた。「どれでも差しあげますよ」
 菫色の瞳に色とりどりの風船が丸く映りこむ。それらの内、アルベドが迷いなく一色を示したときのこと、
「おい、アルベド」
 手にした風船のように、自分をつなぎとめるものに名を呼ばれた。仕方なく振りむくと、そこには憮然たる面持ちのJr.がいた。彼の隣のガイナンは、妙に平坦な笑顔を浮かべている。
「行き先も知らねえのに一人でうろつくな。シトリンとおち合う場所はリベルダージ地区の大鳥居だから逆方向。そっちは二十八市街区のオペラ界隈に続く迂回路だ。パサージュが見えるだろ」
 顎をしゃくったJr.の言う通り、露店の向こうには鉄と硝子で構成された拱廊がある。この東洋人街と一線を画したパサージュの向こうには、一転してパリのように瀟洒な界隈があった。アルベドは考えこむように少々首を傾げると、欠伸でもしそうな顔で視線を斜め右上にずらした。
「ここは?」一言、問う。
「チャイナタウンの表街道。地区の境界は門でな。あのパサージュも東のパイロウも門のひとつ。俺らが向かう大鳥居ってのは、メトロのゴールドラインに乗って一駅『小東京』のすぐ裏にある」
 Jr.は身振り手振りで説明してやった。
「そうか」
「何だ、気にいったのか?」
「別に」
「気にいってんだろ」
「さあ」
「おまえが物見だなんて」
「ふん」
 互いに横柄な態度のため、Jr.とアルベドの会話は大抵が進展することもなく、それどころか会話にすらなっていないことが多々あった。噛みあわない口喧嘩は当然ながら長続きしない。兄弟の流血沙汰でファウンデーションの評判を落とされてはたまらないと、ガイナンは渋々仲介役を買って出ている。今回もJr.が怒気でまくし立て、それをアルベドが白々しく流す(「悪くはねえよ、むしろ理事として、街を気にいられりゃ嬉しいし」「えらくご立派で」「何だよ、その眼は」「二つとも俺の眼だ、やらんぞ」「いらねえよ! じゃなくてだな」)という不毛な遣りとりが続いていたが、意外にもJr.のほうが先に折れたようで、またもや解けそうに緩んだアルベドのマフラーを丁寧に直してやりながら、ゆるゆると肩を落とした。
「もういい。まあ、次回は二十七市街区画にでも行こうぜ。あそこはロスト・エルサレム時代の西洋建築を年代別にとりいれたモデル地区でさ、ダブリンのトリニティ・カレッジ、知ってるか? あの旧図書館を再現した第二ミルチア直結ライブラリがある。スイスのザンクト・ガレン修道院とかリオデジャネイロの幻想図書館とか、オーストリア国立博物館も捨てがたくて、デザイン段階で建築の連中と延々迷ったんだが、利便性を」
「ルベド」
「考慮した―あ?」
 話の途中で流暢に名を呼ばれ、Jr.は開いた口を塞がぬままアルベドを見返した。くたりと垂れた白髪の下で、機嫌良くにやにや笑いを浮かべている。
「やるよ」
 アルベドは一言つけ加えると、自分のカーディガンから何やら掴みだし、それをJr.の胸元に押しつけた。思わず広げた両の掌がそれらのもので溢れ返り、Jr.は零さないよう、それを慌てて抱え直した。二人を傍観していたガイナンも、呆気にとられている。
「おい、何だよ、これ」制止するJr.の声などお構いなしに、アルベドは仕上げとばかりに赤い風船の糸をJr.の小指に結びつけ、『誰がコマドリを殺したの?』の鼻歌交じりに、説明された通りの道を歩きはじめた。
 珍しく陰気を払拭したアルベドの背中を唖然として見送ったJr.は、開いた口が塞がらないまま両の掌に目線を落とした。色鮮やかなカリソンのパッケージからアーモンドが香り、それらと観光ガイドマップ、エンセフェロンの体験版ソフトとプラグイン(ダイブ端末であるEVSを搭載したヘッドギアのインターコネクションを利用した多方向からのコミュニケーションが流通している現代では、多くの企業が自社の用意した仮想空間へ不特定多数の人間をログインさせ、その空間で様々なサービスを提供するといったシステムを採用しており、そうしたP2P体制は中毒者が続出するほど発展している)が混合されて手中にある。おそらく、街頭で手渡されるものを片っ端からポケットに押しこめたのであろう。クイニーアマンのパン屑などは、Jr.の五指の間から転げおちてしまっている。
 Jr.は残ったクイニーアマンを口内に放りこむと、唇のバターを舐めとりながら、「馬鹿じゃねえの、あいつ。こんなもの要らねえよ」とぼやいたが、その顔に締まりがないため本心は明白であった。
 Jr.がアルベドを見失わぬよう歩きはじめると、ガイナンは辟易して「その顔、頼むから部下には見せてくれるなよ」と念を押し、白い吐息を流しながら横に並んだ。遠方の赤い大鳥居を見据え、実は少々楽しみなのだ、とJr.に零す。
「具体的にはどのような儀式だろうか、神社のセレモニーとは」
「ああ、俺も社寺の参詣は行ったことねえから。まあ、要はクリスマスのミサより賑やかに祝うんだよ、祝福さ。で、神への感謝ついでに祈願する、と」
 民俗学や宗教学にかぶれた時期もあったのだから、信仰の起源も知識として蓄えているだろうに、一転して普段の調子に戻ったJr.の説明はすげなく、おざなりなものだった。祈願、とガイナンが意外な様子で反芻する。「願いが必要なのか」
「そんなもの適当でいいって。挨拶でもしとけ」
 大体だな。Jr.は醒めた眼で口角をあげた。「叶うわけねえだろ」と、両手の品々をベストに突っこみながら皮肉る。
「神様は多忙なんだ。サンタクロースは年に一度だけ働きゃいいのに、神様ってのは年中無休で世界中の人間から赦しや願いを請け負ってる。十字架や神殿の前で順番を待ってる間に、俺らの一生なんて終わっちまうよ。となりゃあ、自力で叶えるほうがはるかに建設的、効率的だろ」
 不敵に笑うJr.の語尾に、高らかな警笛が被った。ひと呼吸の間を置き、ディーゼル機関車Ge‐1型に設計されたエア・トレインが後方の線路を通過してゆく。屋根肩部に前日の雪を乗せた真っ赤な車体を二人が追うと、前方の線路脇に通過車両の低気圧で渦巻いた強風に吹かれ、白髪をなびかせるアルベドがいた。曇天の下でも虹色にきらめくかのような艶めいた純白の内側に、また薄笑いを浮かべている。走行音の余韻にかき消されぬよう、彼にしては珍しく少々声を張り、アルベドはJr.の名を呼んだ。
「ああ、ルベド。おまえの戯れ言は何て軽いんだ。その手にある風船のほうが、まだ重いだろうよ」
 赤い風船を指差したアルベドを睨みつけるJr.の口が悪態を吐くより早く、「珍しく意見が合う」と、ガイナンがもっともらしく首肯した。目を丸くしたJr.の視線が、ぐるりと回転してガイナンに注がれる。まるで扉を叩くように赤い風船を弾いたガイナンは、Jr.のことをまったく厄介な生きものだとでも言うように、かぶりを振った。
「俺たちの兄ときたら、まるでこの風船のようだと思わないか」
「ああ、確かに沸点の低さはヘリウム並みだ」
 揺れ動く風船をうろうろと眺めながら、アルベドは無気力な顔で同意した。羞恥のむかっ腹からJr.の頭に血がのぼる。それに気づいているのかいないのか、満足の微笑を浮かべ、ガイナンは優雅に頷いた。
「ふわふわと心許ない上、常に張りつめた男だしね」
「真っ赤だしな」
「所在不明の神に縋る以外、一体何ができるだろうか」
「破裂して落ちるか、萎んで落ちるか、そのどちらかさ」
 兄に対しての把捉においてのみ意気投合した二人は、互い普段の無関心が嘘のように嬉々として談笑している。言ってくれるじゃねえか、と唸るJr.の声が喉奥でぐるぐると鳴った。
「そうさな、少なくとも、生意気な弟どもの口を黙らせることはできるね」
 顔を見合わせる二人に渾身の引きつり笑いを見せたJr.は、ベストの内側から色とりどりのカリソンをいくつか掴み、洒落たパッケージを一気に破りすてると、それらを隙だらけの二人の口内、というより歯列めがけて乱暴に押しつけた。唐突に侵入してきたカリソンのアーモンドの香りと直な砂糖の味には、さすがの二人も聞きとれない妙な呻き声をあげた。吐きだそうにも、がっちりとJr.の手があてられている。二人はしぶしぶと菓子を口内に招きいれた(甘くて不味い、とアルベドが文句を言う。甘党のガイナンは、まんざらでもないらしい)。常から口より先に手がでる横暴な兄のこと、今回もてっきり拳か蹴りをお見舞いしてくるだろうと予想していた二人にとって、これは思わぬ手段であった。
「おら、行くぞ」
 二人してカリソンのねっちりとした食感を嫌々ながら咀嚼していると、メトロの駅に向かって歩きはじめたJr.の怒声が飛んだ。ふとアルベドが空を仰ぐ。真っ白なカンバスに乗せた絵の具のように、赤い風船が頼りなく上昇していた。いつの間にかJr.の小指から外れてしまったらしい。突飛な方法であったものの、Jr.が宣言通り自分たちの口を黙らせたことには違いない。二人の弟は多少不本意ながらも、無言で兄のあとに続いた。
 緩やかに空を泳ぐ風船の赤はやがて点となり、曇天から漏れだす光の筋へと消えていった。もしかすると、コロニーの人工太陽まで辿りつくかもしれない。分厚い雲で覆われた天蓋から、天気予報の通りに粉雪が降りはじめた。Jr.とガイナンも空を見上げる。三人とも息を吐くと当然のように白く、耳朶と鼻梁は寒気できりきりと痛んだ。舞いおちる人工の雪は事実、美しい。今このひと時において、兄弟は子供の頃と変わりなく同じものを見つめていた。