デュランダルの血脈 2


Timeline: Before EP1, in Durandal



 ある百式レアリエンの記録

 クーカイ・ファウンデーション所属、全長四三七四ヤード超の重武装艦。武器はヴェクター社から供与された大出力レーザーや光子魚雷を装備。私のような量産型百式観測器とアンプリフィアーにより広範囲ヒルベルト・エフェクトを展開可能、弾薬の量が充分であれば単艦でグノーシス群と互角に戦える性能をもつ。
 情報という知識は、私たちの価値を高める重要な材料です。すでに任務に就いている姉たちのように、百式レアリエンの能力を艦のために役立てなければなりません。そのためは、自分が勤務するデュランダルという名の重武装艦をくまなく廻り、データの収集を行うことも必要なのです。ドックエリア、居住エリア、カジノという娯楽施設なども観察しました。各所に非番の姉がおり、彼女たちからも様々な情報を得ています。
 揚陸待機エリアの階下では、調整ドックに並列した何十機ものA.G.W.S.を大勢のエンジニアで整備しています。彼らは機体の足元で個々の作業に没頭し、メンテナンスの機械音や威勢の良い会話が絶えません。他にも機体の稼動音やエリアトレインの発着など、騒々しい音がフロア中に響いています。その光景は活気に満ちていますが、緊迫した状況ではありませんね。次回の航海まで間があるのでしょう。
「ちび様、しっかり勉強しておりますかな。今日はヴァイオリンの稽古では?」
「ヴァイオリンだあ? 稽古事なんて社交のために齧る程度でいいだろ」
 エリアトレインから下車した赤毛の少年に、ドッグエリアの現場監督らしき老年の男性が一際大きな嗄れ声で話しかけました。少年のほうは苦笑いで後ずさりましたが、大柄で逞しい老人は、小さな彼の首根を軽々と摘みあげ「怠慢はいけませんぞ」と叱りけました。「ちび様の扱いに先生方も困っておられる。悪戯が許されるのも今の内じゃて。まったく嘆かわしい」
 少年は吊るされたまま、渋い表情で頭を抱えています。「オージアスじいさん、よく聞け」と呆れ声で老人を制し、ひと呼吸置いてから少年は言いました。
「俺がヴァイオリン弾いたって仕方ねえだろ。パガニーニ『ラ・カンパネッラ』の超絶技巧で、グノーシスを倒せるか? チャイコフスキーの『ヴァイオリン協奏曲ニ長調』で敵艦を沈められるか? 無理だろ、できねえよな、てことは、合理的じゃない。必要ねえの」
 少年は早口でまくし立てました。黙々と作業を進めていたエンジニアたちが、二人の遣りとりに失笑を漏らしています。老人は少年の体をおろしてやり、豊かな口ひげがなびくほどのため息を吐きました。
「シェリィさんもガイナン理事も、ちび様の教育について甘いのですな。先生方が気にくわぬなら、このわしが家庭教師でも引きうけて差しあげますが」
 どこか嬉々として提案する老人に、少年は辟易した様子で顔の前に両掌を突きだしました。勘弁してくれよ、とかぶりを振っています。
「そんなことよりさ、仕事に戻ってくれよ。じいさんが監督してくれなきゃ作業が進捗しねえだろ」
 少年は肩を竦め、ほらほら、と老人の背を機体の側まで押し返しはじめました。
 あのモデリング―データベースによると、少年はデュランダルの艦長であるガイナン・クーカイ・Jr.であると判明しました。〝ちび様〟という呼称は愛称のようですが、侮蔑を表す〝ちび〟と尊敬を表す〝様〟が混合されているのはなぜでしょうか。艦長の愛称としては不適切と思われます。そのJr.様に対し、作業場へ渋々と戻った老人が不服を唱えています。
「毎度のごとく機体を解体寸前にする、やんちゃ坊主がよく言えたものですな。前回も補助装甲を装着しておったから無事に帰れたのであって、W回路までいかれてしもうたら、ああ、どうなっておったか―」
「へーへー、わかったよ、重々承知してるって」
 説教をやめない老人に少年はおざなりな返事をすると、逸らした目線の先にいたエンジニアに目をとめ「おい、ハーヴェル!」と、不必要なほどの大声で手を振りました。
「こりゃ、ちび様、待たんかい」呼びとめる老人を残し、少年は名を叫んだエンジニアのもとへ逃走してしまいました。
 艦長という任には、乗組員の生命を預かる立場にあるため、すべての能力に優れた人物を選任しますが、Jr.様の態度からは、能力のほどが窺い知れません。データベースによると財団の代表理事であるガイナン・クーカイの養子という位置づけですが、それにしてはゲノム配列が異なるようですし、親子兄弟というほど差異はないのに同じ構造ともいえない―一体どういうことでしょうか。
 ハーヴェルと呼ばれたエンジニアが担当している調整ドッグには、ヴェクター製のA.G.W.S.『VX‐7000』が格納されています。新製品ですから、実動データが完全に揃っていないようですね。エンジニアの手にあるマッピングと計測機器から見て、おそらく本日ベンチテストを実施するのでしょう。Jr.様に気づいた彼は、オイルにまみれた顔を袖口で拭いながらJr.様を迎えました。
「ちび艦長、会議とやらは終わったのかい」
「ああ、悪いな。新機データ採りだってのに」
 Jr.様が所持していたコネクションギアを起動すると、ホログラフィック・モニターに『VX‐7000』の基本データが表示されました。エンジニアはコンソールを操作してコックピットとリンクさせた画面を選択しながら、「いやいや」と、陽気な笑顔で言いました。
「僕のほうもコントロールユニットのマッピング形成を見直すべきだと考えていたところさ。ちょうど良い頃合だよ」
「ご苦労さん、助かるぜ」
 Jr.様は微笑で彼を労い、それから二人は新機ベンチテストの最終確認をはじめました。汚染物質排出についてのエキゾーストシステム形式認定や、ロジカルドライブとエンジンマネージメントの誤差を予測しています。機体の関節チェックをするエンジニアに、Jr.様は、そうそう、と思いだしたように話しかけました。「コロニーでおまえの息子と話したぜ。もう会ってやったのか?」
「それが妻に連絡を入れたきりでね。ドライブの調子が普段より悪いから、帰宅前に調整しておこうと思って」
「相変わらずだな。面倒な後処理は俺がやるから、今日中に会いに行ってやれ」
 Jr.様は言いながら、昇降装置にとび乗りました。機体のコックピットに体を滑りこませ、マイクから合図を出しているようです。エンジニアが手を挙げると、まもなくして機体の両眼が赤く発光し、走行用の盤面上を一歩ずつ歩行しはじめました。今回が初動ではないらしく、Jr.様の操縦する機体は無駄のない動作をしています。二人はジェネレーターを重点的に計測しているようでした。地面を揺さぶるエンジン音が響きはじめました。同エリアのエンジニアたちも、Jr.様の新機を囲み、テストの様子を物珍しそうに眺めています。階上にいる私の隣も、次第に賑わいはじめました。騒々しい集団の中から「ちび様、性能はどうですか?」とか「垂涎もんですな、ヴェクター新製品は」など、好奇心と羨望に満ちた声が聞こえてきます。エンジニアという職種の人々は、真新しいシステムに興味をもつようですね。Jr.様はコックピットから『おまえら、仕事に戻れ!』と野次馬たちを怒鳴りつけ、ベンチテスト担当のエンジニアを呼びました。
『ハーヴェル、スコープの信号はどうだ?』
「波形は正常だね」
『基本的には問題ないな。だが、RPMの伸びに息切れがある。スロットル全開にしても伸びねえ』
 エンジンの重低音が何度も轟き、そのたび機体が浮遊するのですが、その状態に若干のぶれが見受けられますね。コックピットモニターには渋い顔をしたJr.様が映しだされています。計測機器の数値を確認したエンジニアは「シフトの問題かもしれない。ロジカルドライブは良好だけどね」と、回転数のグラフ値を指しながら報告しました。「この滑らかさがヴェクター製だよ。データをまとめるのが楽しみだな」
『おいおい、仕事熱心はいいが、家に帰ること忘れんなよ』
 モニターのJr.様は、呆れ返った顔でエンジニアに忠告しました。
 それから小一時間ほど機体を操縦し、ひと通りの計測データを採ったJr.様は、『一度、降りるぜ』とエンジニアに伝達しました。同時にコックピットが開き、Jr.様が慣れた様子で昇降装置もなしに地面へ飛びおりました。黒いロングコートをはためかせ、まっすぐに音もなく着地、お見事です。窮屈なコックピットから開放されて伸びをするJr.様は、自分を眺めるエンジニアの視線に気づき、何だよ、と彼を見上げました。
「いえね、ちび艦長と出会ってから、もうすぐ八年になると思って」
「そんなに経つか」
 昔のことなんて忘れたよ。大して興味もないという声で返答したJr.様は、コンソールのスコープ信号を注視しています。エンジニアは、そうとも、と自信をもって頷きました。
「若造だった頃の僕は、どうして自分がこんな子供に従わなけりゃいけない、なんて初日から息巻いてたもんだ」
「そりゃそうだろ。誰でも思うし、思われて当然だかんな」
 コンソールキーを打ちながら淡々と答える少年の背を見つめ、エンジニアは色素の薄い目を細めました。
「今は誰より敬愛してるよ、ちび艦長」
「ああ、そりゃあ毒されてるな。同情するぜ。俺もこの態だ、信頼される術は心得てるんでね」
 Jr.様は視線をモニターに釘づけたまま、不敵に笑いました。
「じゃあ、僕が初めてミスを犯したときの処理も、ちび艦長の筋書き通りかな。僕が不完全なプログラムを打ちこんだせいで、ちび艦長がシンクロ酔いして体調を崩したのに、それを自分の監督責任だけで始末しちゃうんだもの。参るよ」
「確認不十分で搭乗した俺が悪い、事実だろ。ていうか、俺はちゃんと処罰したぞ」
「読破しろって紙の本を渡してきたことかい?」
「普段から読書しねえ奴には、まあまあ拷問だと思うが。ランボーの『地獄の季節』、良かったろ」
「本を返却するとき、感想まで求めたね」
「ま、ちゃんと読了したのか知りたいからな」
 パルプや合成繊維の書籍を読む奇特な人が、まさか身近にいるなんて―私は少々驚きました。歴史において利便性を追及してきた人間は、一時的とはいえ肉体まで放棄し仮想空間で時間を消費するような生物なのに。
「ちび艦長、その俺に何て言ったか覚えてる?」
「さあな」
「〝今次に呆れず、専属エンジニアを頼みたい。あんたのメンテがいいんだ〟――最高の殺し文句だね、ありゃ」
「そうだとしたら、言わせたのはおまえだぜ、ハーヴェル」
 Jr.様はコンソールの手をとめ、笑み崩れたエンジニアを下から覗きこみました。
「俺が感想を尋ねると、おまえは徹夜明けのげんなりした顔で言った。〝あんたが甚だしく不穏当なロマンチストだってことは理解できたよ〟―それで決まりだ。腕は申し分ねえし、欲しいと思った」
「そんな理由で?」
 自信に満ちたJr.様に対し、エンジニアは拍子抜けした様子でした。まさか、読書の感想で自分の専属エンジニアを決定するなんて。
「俺にとっちゃ重大な理由だが。二度も殺されてえのか、ハーヴェル」
 気迫のある声で睨みあげるJr.様に、エンジニアがたじろいでいます。Jr.様は怯む彼をおもしろそうに眺め、にやりと笑うと右手を差しだし、さらに強気な笑顔で言いました。
「おまえの腕は最高だ。今後ともよろしく頼むぜ」
 殺し文句、と私は呟きました。エンジニアも言葉の意味を把握できたようで、とたんに満面の笑みになり、黒く汚れた手袋を脱ぐと、「こちらこそ」と小さな掌を力強く握り返しました。あなたは『apprivoiser』だよ、と言いましたね。時間をかけなければいけない、と。
「ちび様!」
 ふいに私の背後から、女性の声が聞こえました。振り返ると、金髪に青い瞳の女性がJr.様に向かって手を振っていました。
「お土産おおきに。シェリィとおいしく戴きましたんで」
 私の上司となるメリィ・ゴドウィンです。変わった地方言語を使用していますが、艦長補佐の立場にある有能な女性で、私の姉たちとも親しいのだとか。彼女の隣には紫の髪と瞳の女性が立っています(とある薬品との化学反応で、頭髪が紫に変化したという事例がありますが、何か関係があるのでしょうか)。彼女はUNPで誰かと会話中でしたが、一度それから耳を離すと通話口を手で押さえ、「ちび様、二十二時には執務室までいらしてくださいね」と、用件のみを伝えてから通話に戻りました。彼女はクーカイ代表理事の秘書、シェリィ・ゴドウィンでしょう。会話の相手は音声データからクーカイ理事であると推測されます。階下のJr.様は、二人にひらひらと手を振りました。
 彼女たちは仲の良い様子で、連絡通路を渡って行きました。
「お二人ともきれいだな」
 だらしなく鼻の下を伸ばす若いエンジニアたちに対し、Jr.様は「ファンクラブがあるくらいだからな」と少々おもしろくないように肩を竦めました。
「それなら、ちび様とガイナン理事もありますよね。分厚いマガジン、拝読しましたよ」
 エンジニアの一人が言うと、Jr.様は片眉をつりあげ、かなり低い声で、何だと、と彼に聞き返しました。彼の反応に驚いたエンジニアが、ええと、その、と口ごもっています。Jr.様はエンジニアにつめ寄りました。
「おい、初耳だぞ。その金はどこに流れてんだよ」
 すっかり機嫌を損ねたらしいJr.様は、「誌面にあることないこと載せてんじゃねえのか」と疑り、「それがもしシェリィの耳に入ってみろ。デマだろうと俺が絞られるんだぜ」と嘆きました。エンジニアたちは狼狽し、すぐさま話題を逸らそうと「それより、ちび様、カジノ寄りませんか、カジノ」と笑顔をとり繕っています。「ポーカーとブラックジャック、得意でしょ。ハロウィンからクリスマスまで、テーブルゲームのポイントが二倍ですよ。マスターも待ってるだろうし」
 カジノと聞いたJr.様はまくし立てる口を噤みましたが、しばし考えこむと口惜しそうに歯がみしました。
「今月、給料やべえんだよ」
「そんなこと言って、ジャンク品で稼いでるくせに」
「ガイナンとシェリィには、絶対に言うなよ。最後の工面場所まで禁止されたら、マジで財布が寒くなる」
 Jr.様は乱暴に赤毛をかきながら、エンジニアたちに「とにかく何も言うな」と念を押しました。若者たちは仕方ないという笑顔で頷き、各々の仕事場へ戻ってゆきました。
 Jr.様は大人なのか子供なのか、判断し辛い人物です。私たちのように幼体擬装なのか、公表通り十二歳なのか。そういえば、データベース上に残存するU.R.T.V.という対ウ・ドゥ兵器の擬装は、彼と相似しています。ただし、U.R.T.V.については大半の資料が抹消されているため、断定は不可能ですが。
 私はデータベース内を検索しつつ階下へ移動し、到着したエリアトレインに乗りこみました。


 機能性を重視した他エリアと違い、パークエリアは観葉植物や噴水が左右対称に配置され、入口正面には一面ガラス張りの展望台がありました。頭上を高性能の環境虫が舞っています。夜を示す薄暗い空間で照明が仄かに光り、中央で噴水の飛沫音が静謐な空間全体に響いています。高さニニ.一一フィート、幅四九.ニフィートはある巨大な一枚ガラスから、蓮の花を模したコロニーの街並みが左に九〇度ほど横倒した角度に一望できました。
 特殊財団の拠点である無軌道型のコロニーは、中央のセントラル湖から屹立しているデュランダルの前頭部がメトロポリスとして街のランドマークになるようです。天蓋部にマザープログラムの人工太陽を配し、花弁部分であるエネルギーパネルが気候を調整することで住民の生活を支えている仕組みですね。非常時には住民がデュランダルへ避難できるよう配慮され、コロニー自体は人工観光地建設技術のロケテストの場として活用されているそうです。遠方にそびえる海と山々など人工とは思えない素晴らしさで、私はこの展望に目を奪われました。横向きの眺めになるので、景色を観察していると自然、頭部が左方に倒れてしまうのが欠点と言えるでしょう。
「ペトロ」
 展望に見惚れていると、どこからか聞き覚えのある声が―。
「アンデレ、ボアネルゲ、トマス、フィリポ、マタイ、バルトロマイ、ヤコブ、タダイ、シモン」
 キリストの十二使徒の名を数えているようです。「あと二器か」
 声は呟きました。
「あと二人―」
「ヨハネとユダ」
 市街地を眺める私は、自分へ向けられた質問でもないのに思わず答えてしまいました。声は一瞬、息をのみ、私の背後に移動してきて言いました。
「おまえが昨日、ロールアウトした百式か?」
 その質問にも「はい」と答え、私は振り返りました。向かいあった相手は、私に合わせて頭部を右方に傾けていました。「何してんだ?」と訊ねる少年は、揚陸待機エリアで観察していたJr.様その人です。
「データの収集を行っております。私たち量産型の百式は、U.M.N.に存在する共通データベースを使用しておりますので、他の個体の経験をU.M.N.から情報として得ることができます。つまり、個々の経験が全体の経験となるのです」
「俺たち以上に筒抜けの生活とは、おまえらも難儀だな、まったく」
 頭部を正常な位置に戻したJr.様は、気の毒そうな顔をしており、そのまま軽く首を回しました。その両腕に大きな袋を抱えています。難儀、どういう意味でしょうか―私は疑問に口を開こうとしました。それを遮るようにして、Jr.様はおもむろに袋へ手を突っ込み、棒つきの丸いキャンディを取りだして自分の口に銜えました。私がJr.様の口元で動くキャンディの棒を観察していると、彼は再び袋の中をごそごそと探り、今度はそこから白いウサギのプルトイを取りだしました。何でも取りだせてしまうのかしら。まるで魔法―私の胸は軽く、弾むようでした。Jr.様は棒が突きだした口をもごもごと動かしながら、「やる」と掌のそれを私に差しだしました。白いウサギは女性や子供に人気のうーくんというキャラクターだそうです。Jr.様が丸い尻尾を引っ張ると紐が伸び、私の掌の上でうーくんが歩き回りました。
「あなたはデュランダル艦長のガイナン・クーカイ・Jr.様ですね。乗組員からはちび様と呼ばれ、親しまれているようです。私もそう呼称することにしますが、よろしいですか?」
 どうぞご自由に、とJr.様は言いました(ですから以後は表記も変更しましょう)。彼が笑うと、八重歯の奥から棒の先の赤いキャンディが覗きました。苺の香りがします。
「おまえ、シリアルナンバーは?」
 ちび様がくぐもった声で私に尋ねました。
「T100F‐RE‐DAG‐1809です」
「もつれた羊の毛、じゃあかわいくねえな」ちび様は呟き、「俺もおまえをゲルダと呼びたい。それでもいいか?」と再び私に尋ねました。
「特に問題はありません」
 ちび様はキャンディを含んだ口でにっこり笑い、私の青い頭を撫でてくれました。
「なぜ、ゲルダと?」
「簡単なアナグラム、子供同士の置きかえ言葉みたいなもんさ。ほら、ピッグラテンとかあるだろ」
 私の製造番号のアルファベットを並べかえたのですね。番号以外の名など私には無意味ですが、確かに同一の顔が複数存在するならば、固有名称で区別するほうが効率の面で合理的なのかもしれません。
 ちび様は私の移動先がブリッジエリアであることを知ると、まるで人間の女性をエスコートするように腕を空け、優しく案内してくれました。彼はデュランダルに関する情報を嬉々として私に提供し、それは彼の口内のキャンディが完全に溶けてなくなるまで続きました。
 ブリッジはデュランダルの先端部分に該当し、なおかつ四方全面が一枚の半透明型フロントスクリーンで構成されているため、コロニーの形状が正確に把握できました。眩い天蓋部と宇宙が正面にあり、足元から頭上を円で囲むように、コロニー市街の展望があります。外側からエネルギーパネル、海岸線と山稜、整然と区画された市街地、それらの区画間とデュランダルを繋ぐランチ路線、そして出入口となるセントラル湖―素晴らしい眺望です。その空間に突出したオペレーションスペースにコンソール席が配置され、六体の量産型百式観測器が各自の職務に従事していました。
 ちび様は私の背を軽く押し、「おい、注目!」と声を張りあげました。コンソール席で談笑していた六人の姉の視線が、同時に私へと注視されました。
「彼女はゲルダ、俺たちの新しい仲間だ。仲良くしろよ」
 ちび様が意気揚々と私を紹介している途中から、すでに六人の姉は席から離れており、それぞれ微々たる差異の笑顔でちび様と私をとり囲みました。「ちび様、今日は仕事お休みでしょう?」一人の姉が尋ねると、巡回だよ、とちび様は笑いました。初めまして、よろしくね、かわいい妹、あなたも直に慣れるわ、『雪の女王』の子ね、ちび様は私たちに絵本を読んでくれるの、と六人の姉が口々に話しかけてきたことに、私は少々戸惑いました。
「あんたもちび様に名前もらったんや」
 姉の一人は、独特のイントネーションで話しながら私の手を握りました。
「ウチの名前、アンっていうねん。メリィ姉さんの口癖が移ってもうてな、ややこしいかもしれへんけど堪忍やで」
「私たちもね、ちび様におかしな名前で呼ばれるんですよう。私なんてよく失敗するからって〝ドロシー〟が眩暈の〝ディジー〟で定着しちゃって困ってるんですう」
 別の姉はずいぶんと間延びした声で言い、頬を膨らませました。他に配備された経験もない私ですが、デュランダルの百式は他の量産型よりも個性が強く反映されていると思われます。これでは仕事に悪影響を及ぼす可能性もあるのではないでしょうか。
「まあ、退屈とは縁遠い艦だからさ。自分の家とでも思って気兼ねすんなよ」
 姉たちに迫られて苦笑するちび様を見やり、私は疑問に思いました。〝家〟とはどういうことでしょう。確かに、私は明日からこの艦で職務をこなし、寝食を行うのですが、家という表現は戦艦にそぐわないように思います。
「自分のコンソール席なら、気にいったものを置いても構わないぞ。好きにしろ」
 コンソール席を指し示し、ちび様は優しく言いました。彼の言葉通り、姉たちの席には絵本や玩具が仕事の邪魔にならない程度に飾られています。よくよく観察すると、飲料水のボトルや彼女たちの鞄らしきものも、各々の席の横に置いてありました。
「私はねえ、ちび様に買ってもらったうーくんのぬいぐるみを飾ってるんですよう」
 ドロシーという姉は、中々に大きな白ウサギのぬいぐるみを持ってきて、「ね、かわいいでしょう」と、私の眼前にかざしました。私は頷きました。「ディジー」ちび様がドロシーの額を指で軽く弾き、呆れ顔で言いました。
「おまえの場合は集中しねえと。またメリィにどやされてもいいのか」
「ああ、それは嫌ですう。メリィ姉さん、怒ると怖いんだからあ」
 弾かれた額を押さえたドロシーは、慌てて自分の席に戻りました。私の手を握っていたアンも「今夜、ゲルダの部屋に行くな」と、最後に私のルームナンバーを訊き、他の姉たちも自分の持ち場に着きました。
 ちび様は抱えた袋の中身をかき回しながら、ゲルダ、と私の名を呼びました。
「さすがに仕事中は真面目に働いてくれなきゃ困るが、非番の日は何して遊んでも構わないからな。とはいえ、女の子が遊べる場所となると、艦内じゃパークエリアと居住エリアのモールくらいか。コロニーに停泊してる時期だと、おもしろいぞ」
 他に遊べそうな場所は、と思案するちび様のことが、私は不思議でなりません。私たちに対する彼の態度は、まるで―。
「ちび様はなぜ、私たち量産型の百式に対し、そのような対応をなさるのですか?」
「そのようなって、どんな」
「人と似た形をして人と似た名のあるものに対して、あなたは本来の人に対してとる態度と同等の接し方をなさっているように見受けられます。『ロボット三原則』を基盤にした人工生命体への対応として、あなたの行為は一般の人間から逸脱していると思われます。非人間型ロボットに対してもそうした対応をなされているのであれば、博愛主義とも考えられますが」
 ちび様は一瞬だけ青い眼で瞠目し、それから半分開いた口で「博愛主義、俺が?」とおかしそうに呟きました。それまでの陽気な笑顔が消失し、宇宙のように薄暗い眼差しが私を素通りしました。
「悪いが、俺のは単なるエゴ。ま、疑うのは正解だぜ」
 ちび様は自嘲しました。初めて目にする彼の歪んだ表情に、私は言いようのない当惑を覚えました。人の心は複雑怪奇で、私の理解など到底およびません。
「逆に問う。ゲルダはなぜ、それを疑問に思い、なおかつ俺に質問した?」
「U.M.N.のデータベースから正確な回答が得られないためです。不明な点は不備を起こす前に解明し、データベースに知識として増補おくべきと判断しました」
 至極、当然の解答です。ちび様は私の返答に「それだ」と頷き、それから私の胸の辺りを指差しました。暗い影を払拭した青の双眸が、私を見上げています。
「ゲルダはこの胸で疑問を感じ、頭―つまりデータベースで思考し、両方を駆使してもわからないから質問すべきだと判断した。別個体に任せる手もあったはずだな。そもそも疑問を感じない奴だっている。感情と思考の往復と結果の行動―この作業って意外と難しいもんだぜ?」
 ちび様の指が頭と胸を交互に行き来し、彼はにやりと笑いました。
「俺の艦に、命令通り動く機械は必要ねえ。ゲルダが嫌なことには首を振ればいい。そこに前例がなくとも、思うまま行動してくれ。迷ってもいい。俺が判断を誤ったと感じた場合、この銃で撃ち殺してくれたって構わない」
 ちび様は腰のホルスターに手をあてて言いました。私の両肩に乗せられた手の熱が、言葉の真実を伝えていました。底知れない彼の眼差しから、、目が離せない。
「デュランダルにはな、ゲルダのように〝なぜ〟と思考し、その上でこの艦にある命を守りたいと決意のある者が必要なんだ」
「私の問答が、対人オプションの模擬人格層によるものだとしてもですか?」
 私は悲しくなりました。共有データベースが成立し、固有情報をもたない私たちには、自己という概念がありません。D.S.S.S.と、その組となるヒルベルトエフェクトを統合した百式システムは実現されて間もない最新技術で、数十トンのシステム容積を必要とするものです。そのため、理論的に人型サイズまでそのシステムを小型化する事は不可能であり、本来の百式システムとは、四九.ニフィート四方の大型コンピューター本体と、パーソナルデバイスとしての私たち量産型百式観測器というシステム構成なのです。パーソナルデバイスに自己と他者の区別などあるはずもなく、自己の消滅である死さえも厭わない。同一の外見に同一の意識―私の体験もメインシステムにアップロードされ、私のものではなくなってしまいます。私たちの心があるとすれば、それは四九.二フィートの真っ暗な箱の中でしょう。
「おまえの心が作り物なら、俺たちの心だって神様がつくったプログラムかもしれないぜ」
 ちび様は悲しげに微笑み、自分の胸を指差しました。「それでも俺は、ゲルダの意志が知りたいよ」
 ちび様の右掌に、666という赤い数字を見たとき、私は証拠もなく確信しました。彼もまた、ナチュラルなヒトではないのだということを。その数字が実際に何の番号であるか正確な判断できませんが、何を意味するのかであれば、私にも憶測できるのです。ねえ、それは私たちと同じ製造番号でしょう? 数字なんて、区別と順序のためにある識別記号なのだから。
 あなたが私たちに固有名称を与えてくれる理由は、その掌の数字が私たちの製造番号と同じ類のものだからなのですか? だから、あなたはエゴイズムだと言う。同等の立場でありながら、上位とされる立場を装っているから。それでも、ちび様は私を定義づけてくれるのです。それが彼のエゴだとしても、百式が共有する情報と能力以外で、私個人を必要としてくれています。私はとても嬉しい。
「私は、この船で働きたい。ちび様のお役に立ちたい」
 あなたの力になりたい。
 私たちは製造初期段階において、心理的バイアスをかけられられています。ですから、喜びを見出すほどの自由意志の根幹さえもが、レディメイドなのかもしれませんね。事実がどうあれ、今日のために私という個は量産の中から選出され、自らの意志で以後を生きてゆくのだと信じたいのです。
 ありがとう、ちび様。私の青い頭髪を、彼は悪戯っぽい笑顔でぐるぐると撫でました。
「決まりだな。その力を俺たちに貸してくれ」
「はい、喜んで」
 私も少し笑いました。存在するだけでは、私は自己を肯定できません。ちび様、あなたの行動がメンタルケアの一環だとしても、エゴイズムだと自分を苛みながらもやめられない、あなたの不器用さを感じられたことが嬉しいのです。あなたの行動は、誰にでもできることではありません。あなたのそれは、何の見返りがなくとも、誰が見ていなくとも、続けているものでしょうから。
 こうした体験も共有のものになるけれど、こうして実際に彼と会話し、触れ合った個体は私だけ。この一瞬の胸の高鳴りは、私だけのものよ。
「ちび様の女たらし」
 コンソール席にいる姉のカーレンが、くすくす笑ってちび様を冷やかしました。
「言ってくれる。景品いらねえのか?」
 にやにやと笑いながら、ちび様が景品袋を頭上にかざしています。それを見上げた私は、彼にもらったプルトイのことを思いだしました。それを制服のポケットからとりだし、掌で転がしてみると、玩具の白いウサギが何か特別なものであるように思えました。何だか自分の体が鳥のように軽くて、重力のあるブリッジでも宙を飛んでしまえそう。
 当番の日になったら、私の席にはこれを飾ろう。そう思うと、当日が待ち遠しくなりました。仕事が楽しみで仕方ないわ。私はくすりと笑いました。