明滅する春と修羅 2


Timeline: One day of YURIEV Institute




 アトリウムの天窓越しに凍結していた遠い空が、解けだす薄氷のように青く近づく季節。ユーリエフ・インスティテュートにも春はくる。
 とはいえ、徹底的な環境管理システムが整うこの施設では、生命が誕生する開放的な暖かさも無縁で、雪解け水の小川やそれを喜ぶ動物たちの姿もない。冬の澄んだ空気と春の暖かな陽気の差さえ感じとれぬ閉鎖的な空間である。こうした虫一匹寄せつけない清潔な環境が、人間にとっては至極快適な生活空間であるらしい。
 その機能性を重視した没個性の建物の内、憩いの場として建造されたいくつかのアトリウムだけは、ドロイドやレアリエンの管理によって様々な植物が栽培され、屋内庭園として整備されている。ダイブルームのある実験棟を出ると、ガラス温室のガゼボや小川のウォーターコースを演出したビオトープもあり、バクテリアが魚の排泄物や腐った植物などを消化吸収する自然の力とテクノロジーを利用した水浄化システムを構築している。こうした環境の中で季節ごとに移り変わる草花がなければ、研究員たちは四季という単語さえ忘れてしまうだろう。
 屋内庭園に植えられたアカシアの木の根元で、彼は身を丸くしていた。プランターほどもない体躯は、天窓から燦々と降る早朝の木もれ日の中に難なく隠れてしまえる。頭上では黄金色に輝く球状の花が見事な房を形成し、細い枝をしならせるたび、芝生に紋様を描く木もれ日は炎のように揺らめいた。
 この木の根元で彼は一人の少年を観察している。
「生き物―人間―違う―レアリエン―違う―何だろう―?」
 観察対象は、アカシアの花より薄いブロンドの髪に、天窓越しの空のようにくすんだ青い瞳の少年である。対象は彼を見つけて首を傾げ、それから微動だにしていない。芝生に屈みこんでいる少年の上にも木もれ日は射しこみ、アカシアの枝から降った銀灰色の葉が三枚、柔らかな金の髪に絡まっている。全身の毛を逆立て一応の警戒をする彼と、瞬きもせずに彼を観察しつづける少年は、かれこれ小一時間ほど見つめあっていた。
「―配布されたデータベースにはない―ライブラリのDNAデータ―? あれは変異体だけが見られる―変異体は標準体より優れている、閲覧可能な情報も多い―」
 抑揚のない淡々とした口調で呟き、少年は頭上のアカシアに視線を移した。ぼんやりとした眼は、たわわに実った果実のような花など映しておらず、ただ虚空を漂っているように見える。
 彼の認識では、標準体は常々このような調子であった。変異体の少年たちのように表情を変化させることもなく、彼のような未知の生物を発見しても決して触れようとはしない。他の研究員に報告する素振りも見せない。他者に対する興味もなければ、善悪の定義も持ちあわせていない。全体で一つの自我、個々の思考の停止―まるで種の保存と持続を最優先に生活する獣のようだ。そのように理解している利口な彼は、今日は珍しく観察される側であるらしい。
No.665
 呟かれていた独り言と同一の声に、少年は一度だけ瞬いた。
「もうすぐ点呼の時間だ―」と言って現れた新たな少年は、665と寸分違わぬ姿形をしており、表情のない顔も、感情のない声の調子もまた、665の合わせ鏡のように同一であった。唯一異なる箇所といえば、665の頭に乗った三枚の銀灰色の葉くらいのものである。呼びかけられた665は、機械的な動作で立ちあがると、あれほど観察していた彼に素っ気なく背を向けた。その拍子に髪に絡まる三枚の葉の内、一枚が弱った蝶のように舞いおちた。
君はいつも病棟の裏庭から歩いてくる―No.352
 のっぺりとした表情のまま両者は向かいあい、665が多少不思議そうな面持ちで呟いた。352は曇った青の双眸で665の髪に絡んだ二枚の葉を眺めていたが、665の言葉に視線を合わせると、多少熱に浮かされたような顔で口を開いた。
「ピアノ―ピアノの音が、いつも聞こえる―女の子が弾いている―No.666といつも一緒の女の子―あの子はきれいな指をしている」
「きれい―」
「あの子はきれいだ―声を聞いてみたい―」
 普段の声より心持ち高く、わずかに柔らかな調子で352は頷いた。曇りのあった青い瞳がどことなく艶めき、頬は変わらず血の気もないが、耳朶と唇の端が微妙に痙攣していた。
「僕では波長が合わないけれど―No.666は、あの子の声を聞いたのだろうか―」
 665の髪に絡まる葉をおもむろに抜きとり、352は小さな指先でそれを弄りはじめた。くるくると回転する銀灰色を、二人の少年は無言で眺めている。天窓の梁から小鳥たちの鳴き声がしようと、庭園を整備するドロイドが横切ろうと、少年たちの興味はその一枚の葉にあった。木もれ日は少年たちの金の髪を絶えず照らし、穂のように輝かせる。
「No.352―僕たちには固有の感情はないという―どうしてだろう―感情があるのは、No.666以降―僕までが、変異しなかった―僕たちは、どうして、変異体に生まれなかったのだろう―」
 回転しつづける葉から視線をあげ、665は352の眼を見据えた。352も弄っていた葉を事もなげに捨ててしまうと、665の視線を無表情で受けとめた。
「―僕のあとに、No.666とNo.667が完成した。僕はNo.665―たった一つの差―何がどう違っていたのか、わからない―どうして僕は、僕なのだろう―わからない―」
 淡々とした口調とは異なり、そこには665の行き場のない困惑と嫉妬が含まれているように見受けられる。わからない、と独り言のように繰り返す665を、352は無言で見つめている。木もれ日は少年たちの体を貫き地面を光の粒で濡らしているが、その輝きの中にあるはずの二人の表情には一切、照らすものなどないようである。動揺を見せない真一文字に伸びた眉も、感情の塵を排除した石のように不透明な瞳も、呼吸と栄養を摂取することだけを意識している薄く開いた唇も、部屋の暗がりにでもいると説明したほうが納得できるほど不気味なものがある。
 アカシアの黄色い花が重力に負け、なおも抵抗するように左右に振れながら舞いおちる。その花弁を見送ってから、彼は体全体をひとしきり伸ばすと、芝生の上を四本足で歩きはじめた。そろそろ赤い髪の主人が、自分用の食事を運んできてくれる時間帯である。その主人が隠れ家として用意してくれた、林の奥にある寝床にいなければ食事にありつけない。
「―ああ、時間だ」
 どちらの少年とも判断できない声が、ようやく背後のアカシアから聞こえた。しばらく無言で気配もないため、すでに彼は少年たちの存在を忘れかけていた。首だけで振り返ってみると、二人の少年は真っ白な施設の扉に向かい、同じ歩幅で進んでいた。その背はやはり合わせ鏡のように同一で、どこからともなく集まりつつある他の標準体も例外なく同一であった―ただ一つ、665の金の髪に残った銀色の葉を除いては。
 なぜ、こうも同一である必要があるのだろうか。人間は人間同士でさえ、事細かに違いを見つけては区別するのが好きな生き物である。他者と自分を無理やり区切り、自己を確立しようとする。かと思えば、やりすぎた異質は排除しようとする。彼にとっては、人間もレアリエンもU.R.T.V.も同じようなもので、どれも同じように理解不能な生物でしかない。同じ二足歩行だし、大体同じ言語を話して生活している。なぜ、わざわざ分別するのだろうか。生きるために必要だとは思えない。区別すべきは、食料と、それ以外でじゅうぶん。実にシンプルな境界線で、彼は生活している。


 彼が庭園の物陰に隠れながら細い隙間を縫ってゆくと、白壁の向こう側から研究員の会話が聞こえてきた。声から察するに、どうやら男女の二人組のようである。
「本当、薄気味悪い子供たちよね。あんな姿してるけど、中身は怖ろしい生体兵器だもの。仕事じゃなきゃ関わりあいたくないわ」
「ほお、我々のような科学者には、願ってもない研究材料だがね」
 ヒステリックな女性の声と、しわがれた初老の男性の声が、彼の進行方向から近づいてくる。二人分の硬質な足音が、聴覚の優れた彼の鼓膜を震わせた。
「全体数は減少する一方だが、サンプルがある限り困却せんしな。あれの生態には興味が尽きない。特に貴重な変異体は、我々の技術の粋を集めた傑作兵器だ。今後の技術の応用次第では、星団連邦なぞ一掃できる兵力を手中にできるやもしれん」
 冷淡な口調で、男性は乾いた哄笑をあげた。耳障りなそれを聞きながら、彼は花壇に咲く春の花々の下を走ってゆく。ドロイドの足代わりのタイヤが、電子音を鳴らしながら彼の横を通りすぎた。色とりどりに咲き乱れるマーガレットの花壇に水を撒いているらしい。
 ヒステリックな女性は「ねえ、アーロイス」と、声のトーンを落とし、先程とは打って変わって密やかな声音で囁いた。
「私は人形のような標準体よりも、あの変異体に恐怖を感じるの。貴重な発現パターンだからって、要求された情報媒体を無尽蔵に摂取させているユーリエフ博士もどうかしてると思わない。特にNo.666―シミュレーションでの殺傷行為にさえ忌避する兵器なんて、あり得ないじゃない。人間を真似たりして……無邪気を装ったあの笑顔、見るたびに寒気がするの。この総合的な研究で、個性を見せる個体が今までにいた?」
 耳打ちしているのか、声はこもっている。女性の口調には怯えと罵りが含まれていた。
「くだらんな。必要とするのは画一的な兵器のみだ」
 男性が軽く鼻を鳴らしたところで、二人は壁越しに彼の横を通りすぎていった。床を割るような足音が、だんだんと遠のいてゆく。「ええ、まったくよ」と、再びヒステリックな口調に戻った女性が言う。「No.666はね、自分の特異性を十分に理解した上で、あえて個性を演じている部分があると思うの。だって、そうでしょ? 結局の話、表層人格に個性が生じるほどU.R.T.V.にゲノムの差異はないし、育成環境もそう差別化されていないんだから」
 剥き出しの嫌悪が渦巻く声で、女性が吐き捨てた。
「だから、化け物だって言ってるの」
「親子揃ってな」
 男性が嘲弄するように冷笑し、二人の会話はそこで途切れた。話し声をとりこんだ両耳を震わせ、彼は軽く伸びをした。新芽の出たプランターを飛びこえ、生い茂る草を尾で避けながら、庭園の奥にある林へ悠々と歩いてゆく。マーガレットの花々から覗く彼の尾を、ドロイドが赤く点灯する目玉で物珍しそうに眺めていた。