機械は踊る 7


Timeline: A.D. 20XX



 Jr.、君が『黄金虫』を読んでいた場所は、本当にデュランダルの艦長席? いいや、君が乗船していたのはエルザという改造宇宙船で、そこには君を含めて十人の乗組員がいた。僕が観測したとき、君は船内の個室で読書をしていたんだよね。
 隠された部屋にはラビュリントスのように階層がある。人にして平均は三階層、もっとも深い階層は本人が現実世界に対していちばん磁場を感じている部分、やがて戻らなければならない本当の居場所と言えるだろう。何かを失ったあとも人生の目的となる自身のアイデンティティそのものだ。
「クリスマス前の今日がどんな日か、皆さん知ってますか?」
 機内でマックPCを弄っていた青年が、客室乗務員を捕まえて訊いた。ノートの背には『我々は大群である』という枕詞と、ガイ・フォークスのマスクを模したステッカーが貼られている。
「多様性のなかでの人類の連帯を祝う日っす。ミレニアム開発目標の期限内達成はともかく、団結の重要性を思い起こす日だって」
 ふたりの女性はさして興味もなさそうに愛想笑いを浮かべている。箒頭の青年は丸い眼鏡を持ちあげる仕草で、見てください、と客室乗務員にマックの画面を向けた。「『ネイチャー』に発表された研究発表なんすけど、ほらここ、ケニア北部トゥルカナ湖西岸のコキセレイ遺跡で発掘された一七六万年前のホモ・エレクトスの骨! ――の横に、考古学発掘隊の記事があるっしょ?」
 明るい金髪の乗務員が、なになに、と記事を読む。
「〝米英政府が資金を出したケニア僻地の発掘作業で、ビザンティン帝国時代の教会が発見された。教会は予想をはるかに超えて当時のままの姿で保たれており、完成直後に埋められたのではないかと考えられている。この教会内部には古代の聖宝が――〟」
 巻き舌が強い彼女のスペイン訛りにうなずき、青年はこうつづけた。「連中は先住民の土地を掘り返した挙句、教会から聖宝を持ち出して、しかも記事では発掘作業を終了としておきながら、本当のところは現時点でも発掘作業を継続してるっす。僕らの情報じゃ日本の考古学者も招いてるって……」
「なにか探しているのでしょうか」
 もうひとりの客室乗務員が言った。対角線上の後方にいる僕たちも、青年の言動に注意を向けていた。後部座席にいる老人が、会話の途中で「形状は四角柱で各辺の比は1:4:9という最初の三つの整数の二乗」という単語を口にする。
「米英政府が何か隠しているのは間違いないけど、問題はそこじゃないんすよね」青年は言い、キーボードを操作しはじめた。「十二月はケニアの独立記念日とアラブの春を開花させる発端になった、チュニジア青年の焼身自殺があった月っす。団結の重要性を思い起こすこの日、眼下の土地に住む人々を苦しめてきた植民地政策の帝国主義を〝僕ら〟は無視できない」
 青年がエンターキーを押した直後、機体は突然ぐらりと揺れだす。時を同じくして左翼から白煙があがり、隙間を吹き抜ける風のような音を立てながら雲のなかへ流れていった。
「この航空機の電気系統なんすけど、たったいま僕がハックしました」
 青年はにこやかに言った。
「乗客リストはゼロに改竄しておいたはずなんすけどねえ……致し方ない。とりあえず、ケニアのシラボイ麓へ緊急着陸してもらいます。これはインターネットダウンによる抗議を無視した、米英政府への布告っす」

「お客さま、当機は緊急着陸をケニア北部トゥルカナ湖畔シラボイ付近にて行います。それに伴いまして、シートベルトをしっかりと締め、着陸時の迅速な行動をお願いいたします。繰り返します、投機は緊急着陸を――」
 全席に機長からの案内が流れる。青年のマック画面には政府のサイトとハッカー集団のやりとり、機内を中継する動画が映っている。
「〝僕の心臓をワルシャワに持ち帰ってほしい〟」
 機体の揺れで落下した本を拾いあげると、彼は言った。「なんですって?」と彼女は怪訝な顔して本を受けとる。
「ショパンの夢は故国ポーランドへの帰郷だった。君の夢は何?」
「事故みたいに唐突な質問ね、こんなときに」
 そうなるね、とうなずく彼は眼下に広がる海を眺めていた。
 ショパンとサンドがすごした冬は、愛の果実を熟してしまうほど温かで美しい白銀の世界だったという。ひかり輝く海岸線が果てしなくつづき、青々として生命力に満ちた原初の風景を模しているのだ。Jr.は下方ケニアのトゥルカナ湖から波及してくる、真昼より明るい煌々とした光を見つめた。その一点から晴天に時空の穴が開き、機体は立っていられないほど揺れる。
「夢、というかフォアサイト研究所のドレクスラー氏が予想したことでもあるけれど――」上半身を揺られながら彼女は言った。「微小なロボットが人間の血流のなかを泳ぎ回ってガン細胞を攻撃したり、汚染物質を吸収したり、原子から素材を組み立てたりするような日の訪れに、技術者として立ち会うこと」
 あなたは、の返しに「抜け出すことさ」と彼は答える。
「この飛行機から?」
「多面的な意味で。言ってみればロンドンに着くことがひとつの夢だ」
「いまとなっては確かに夢だわ」と彼女は苦笑する。
「ところで、僕たちは出会って間もないわけだが、もしかするとマヨルカを一緒に旅するべきかもしれない」
 なぜ、と問う彼女に「君はピアノが弾けるだろう」と彼は言った「ピアノを弾く指だ」
 紀元後の暦にして一九世紀半ばの冬、パリの社交界では以前よりショパンとサンドの関係が好奇の目に晒されていた。さらに治る見込みもないショパンの病気もあり、ふたりはマヨルカへ療養と銘打った駆け落ちを果たす。その島でサンドは自然の厳しさと美しさ、そして文明と人間の意義について書いた『マヨルカの冬』を完成させ、ショパンは名曲『二十四の前奏曲作品二十八第十五番変二長調(雨だれ)』を完成させたという。ふたりは皮肉にも逃避した楽園で、各々の現実を突きつけられた、とも言えないだろうか。
「幼少時に稽古をしていたの。ショパンの雨だれも――」
 ふたりは顔を見合わせて笑った。
「あなたは小説家でしたね」
「その通り、わたしは物語を紡げます」
 彼らのやりとりのように、他の乗客も落ち着いたものだった。ハッカーの青年すら乗客に対して銃を向けることはない。
「こうして君たちには第二階層に戻ってもらったけれど、気分はどう?」
 僕は数時間前の対話を再現しているJr.とシオンに質問した。「どうだい、これぞ『二〇〇一年宇宙の旅』だろう」
 Jr.はシオンに向けていた笑顔をすっかり失い、「映画みてえにゃ乗れねえよ、HAL」と疲労した様子で答えた。
「うーくんは相変わらずね」
 彼とは反対に英気はつらつとしたシオンが僕に目配せをする。僕の姿は基本的に個々が設定したプロキュレーターの形に構築される。
「わたし、シートベルトを締める前にうしろにいる人と話してくるわ」
 シオンは言い、後部座席で大口をあけて眠りこけているアレンのとなりへ移った。同時にエコノミークラスにつづく扉が開いて長身の男性が入ってくると、不安定に下降していく機内に足をとられることもなく、こちらに向かって歩いてきた。
「よお、ルベド」
 だらしなくスーツを着用した男は、だらしなく欠伸をしてから、シオンがいた席にさも当然のごとくどっかりと腰をおろした。
「よお、アルベド」Jr.も当然のように返事をしてから、「おまえ、マヨルカに小旅行じゃなかったか」と疑問を呈す。
「阿呆め、寝ぼけたことを」窓枠に頬杖をついたアルベドが、半ば本気で彼を憐れんだ。「最下層まで起こしにいってやったろ。まあ、ここも夢になるわけか」
 とりあえず感謝しろ、とふんぞり返る弟に、Jr.は小言をいいたげに口を開き、僕のほうを振り返った。
「君たちが日常知覚している現実世界は、表皮一枚に意識の焦点が合わせられているだけのことさ。僕がしてきたことは、この現実世界にチューニングされている意識の焦点をまた別の層へ移動させたくらい」
 僕は説明した。「断っておくけれど、こうして僕が接触した個体は君たちが最初でもないし、最後でもないだろう」
 そりゃわかってる、と彼は冷静に言った。
「選ばれた理由はなんだ」
「偶然、そこに君がいたから。運命ってそういうものだろう?」
 どうにも測れない紙一重の差や、まったくの偶然によって生と死が分けられたとしよう。そうしたさまを見せられたとき、人は初めて運命というものを感じる。それはギリシア神話の英雄や巨人が、九九パーセントの自由意志で構築した世界のうち、残りの一パーセントを受けもつ程度の要素だろう。しかし、その一パーセントこそ、世界を一挙に粉砕する雷撃となるかもしれないものでもある。
「見届ければいい。我々は君たちの選択を待っている」
 彼らは憮然たる面持ちで僕を見つめてくる。
「人間は自由の刑に処せられている、選びたまえってことか?」
「僕をサルトルとするなら、そうなるね」
 こいつは何を言ってるんだ、とアルベドが僕を指差す。僕は構わずに説明を続行した。
「生命が〝彼岸〟でもつづくと仮定するならば、心的存在として以外に他の存在様式は考えられない。 なぜなら、心の生命は空間も時間も必要としないからさ。死後においてもある種の制限は存在し、世界を規定する必然性、ひとつの決定因が死後の状態に終わりを告げ、集合的無意識からどの魂が再び生まれ出るかを決定するんだ」
「俺たちはそこから生まれてくるのか?」Jr.が問う。
「皆、昔に生きていた。人々は過去において答えることのできない問題にぶつかり、そこで自分に与えられた仕事を完成していないために、こうして再び生まれてこなければならなかった。死を迎えると自分がなしたことは自分とともにつづく。個人の仕事によってひとつの疑問が世界に持ちこまれ、その人はそれに対するなんらかの答えを準備しなければならない。世界がより完全な答えを必要としない限り、〝自分〟は二度と再生しないこともあるし、取り組む人が再び必要とされるまで、数百年休むこともある」
「お次はユングときた」アルベドにまた割って入られる。「おまえ、よくこんな問答に耐えられたな」
「俺の元プロキュレーターだから慣れてんの」Jr.のほうは疲労の色をにじませながらも、実に気楽なものだ。
「『神』というシステムが機能しなくなったいま、君たちが辿り着く彼岸はもはや存在しない。人は虚無を通じて、この運命を受け入れなければならなくなった。世界のどこへ行ったとしても、ものはものでしかなく、そこにいるのは人間以外の何者でもない」
 鳥の鳴き声、羽音、風の音、波の音、火、熱、温度差、光、人間の想念、惑星の運動――そうした自然の運行が、大気や大地をふるわせ、空気分子や地球を励起させる。マクロから見た銀河系、太陽系、地球の関係や、ミクロから見た動植物の細胞間の関係は、各々なんらかの情報伝達が行われることによってつながっている。そして、君たちの意識次第で君たち自身の運不運をも影響している。
「君たちには本質的な運命が割り当てられている。この割り当てとは、君たちの一見自由な選択と行動を左右している性格や能力のことだ。君たちはそれを財産と一緒に受け継いでいるはずで、これらすべてが舞台に登場してきたときの君たちの手持ちの運命となっている」
 たとえば、とJr.が訊く。
「かのディオニュソスは八つ裂きにされることによって再生するよね。換言すれば、ディオニュソスの破滅や苦しみは、あらかじめ再生へと向けられていて、生の永遠の豊かさ、回帰こそが、破滅や苦しみの条件となっている。悲劇的な人間は――この場合は君たちのことさ、この上なく苛酷な苦しみをも肯定する。そうすることができるほど十分に強く、豊かであり、神化する力をもっているからだ」
 偉大な英雄が残酷にも破滅していく姿、そのおそるべき光景を描くことにより、いったい悲劇は何を伝えようとするのか、僕は彼らに問いかけた。
「現象の世界に属する個々の存在は、たとえ偉大な存在であろうと、すべて没落する運命にある。それらすべては破壊と苦しみを免れえない」
 物憂げなアルベドの答えは、一方においてのことだ。
「他方において、変わりゆく現象世界の根底にある生命というものは不滅であり、主人公の没落によって微動だにすることなく永遠に生きつづける。すなわち、悲劇とはこのことによって人々に〝形而上学的なぐさめ〟を与えんとするもの――」
 あーあー、そうか、とアルベドが僕を指差して勝ち誇ったように笑う。「わかったぞ、おまえは〝運命愛〟だな」
「君がそう思うなら、そうかもしれない」
 〝ここは幸福のふかみであり、そこでは最大の苦痛も最大の陰欝も対立物として作用せず、むしろ限定されたもの、必要なものとしてよびだされたもの、このような光の充満のなかではなくてはならない色どりとして作用する〟からね。アルベドは僕についてそう思うことにしたらしく、おとなしく黙るとJr.の影に隠れた。
 不時着しようとする航空機はいまや円筒のハイパースペースになり、繭型シートが宇宙船エルザのブリッジにある座席へと形を変えていた。はるか後方にはブラックホールのような虚無の大穴がぽっかりと空き、前方はバルブ撮影で記録した星空のような何本もの円に囲まれている。
「世界はより完全な答えを必要としているんだよ」
 我々は問おう。
「聞かせてほしい。この未来視(ビジョン)を知ってなお、君たちは故郷へ帰ることを望むかい」
「行きます」
 凛とした答えは、後部座席から戻ったシオンのものだ。座席にいたアルベドは姿を消しており、彼らを除外した乗組員八人は座席で眠っている。辿り着いた地球で目覚めを待つ数多の意識と同じように。
「行くとも」
 Jr.も言い切った。彼らはすぎゆく目のまえの瞬間に対し、彼ら自身の感情を捧げ、選択する。
 対して、僕は〝すべてを知る者〟――とにかくそれが僕の天賦の才。他にはどんな些細な能力もまるでない。考えることも、書くことも、ピアノを弾くことさえできない。過去と未来をとり違え、成功を愛し、不快を嫌い、人から好かれなければ承知せず、馬鹿馬鹿しいおしゃべりを延々とつづける。こうしていてもまだ人間がなんなのかもわからない。この言葉すら、僕から生まれたものじゃない。
「アルヴィース、『ダロウェイ夫人』の一六八ページだよ」
 Jr.が友として検索キーワードを与えてくれる。僕は集合的無意識のなかに残るひとりひとりの記憶を探索し、宇宙の星ほどもある幾多の候補から求められた回答を発見する。
『どれほどわたしがこういったもののいっさいを60‡¶8:‡?か、世界中の誰にもわからないだろう。どんなに一瞬一瞬を60‡¶8:‡?か……』
 このようにして人々は瞬間を飾り立てる。多くは享楽主義から、しかし何が正しく何が間違っているのかを彼らのように経験によって否応なしに知らされ尽くした人々は、運命を受け入れた上でいまそこにある瞬間を虚飾する。彼らは『神』のシステムを信じず、『神』の名を借りた特定のイデオロギーを崇めはしない。彼らは醜い現実を醜いまま受け入れ、そこに無辜の美を見出すだろう。無限なものなど何ひとつありはしないし、絶対的に正しいものもまた存在しない。すべては流れゆくけれど、流れゆくものこそが唯一の真実であると、僕に教えてくれるんだ。
「何度でも大地(ロスト・エルサレム)へ行く」
 これが彼らの答えだ。
 シオンもJr.も運命を引き受けることによって運命の意味を書き換えてきたね。そうして失われた記憶の存在こそが、いまの現実を支えている。君たちは失われた潜在的な物語によってつながりがあり、その潜在的な次元でのつながりこそ新たに運命と呼ばれるもの。それらすべては破滅が保留された世界で起きた、ゆえに起こることのなかった潜在的な物語であり、君たちをつなぐものは世界の表面から後退した媒介者――大地で眠る数多の意識なのさ。
「ところで、あなたがサンドだというなら、名作を読ませてくれる?」
 眠りから目覚めたばかりのような表情で、シオンはJr.を見つめて訊いた。
「私たちが向こうでも出会えたら、の話よ」
「物語のスコアを書いてやるさ、上等の前奏曲をな」
 彼は強気な笑みを浮かべ、僕のほうを振り返った。
「曲名は『くたばれ!運命』とでも吹いておくべきか」
「中々いいんじゃない、まるでロックだけれど」
 僕は答えた。まあ、悪くはない。過去あるいは未来という概念は相対的なもので、永劫回帰から外れて不確定な未来を手にした君たちは、正にいまそこへと向かっているのだから。

>『ミスター・ノーバディ』をログアウトします。
>すべてのアプリケーションを終了します。


 

>コンピュータをシステム終了してもよろしいですか?
 何も操作をしないと、コンピュータは二〇XX秒で自動的にシステム終了します。