機械は踊る 8


Timeline: Future



 ざあざあと風が吹いている。まっくらな宇宙に? いいや、いまの俺は野っ原にいるんだ。あたり一面がアーモンドの花に包まれた雪原のような地平、青空、遠くの丘でまわる風車、海があることを知らせる潮の匂い。長きにわたる『オデュッセイア』のような逃亡から帰還しようとも、叶わない夢は見るほどに苦しい、願うほどに虚しい。
「オ待チクダサイ、旦那!」
「ドノヨウナ危険ガコノ地に潜ンデイルヤモ分カリマセヌノニ!」
 スプモーニとザザのふたりに船の番を任せると、見渡す限りの白い野原を導かれるように急ぐ。時折、膝元まである草むらに足をとられながら、転がるように前へ前へと。
 真冬のマヨルカ島を美しいと思わないか、兄弟。ウィリアム・クラインの作品を彷彿とさせる島内の景観は実に多様だ。荒磯や断崖のつづく海岸、小さな入江には白砂が眩しい浜辺――漁村は少々ひなびているが、平地にはオレンジやレモンの果樹園がある。樹齢千年の古木もあるらしいオリーブの木々を行くと、蜃気楼のように忽然と村が現れる。周囲を高い山に囲まれ、ほんのわずかに残された傾斜のゆるやかな場所に、石積みの家々が折り重なるようにして建ち並んでいる。村の中央には敬虔な信仰の空気を湛えた修道院、静謐のカルトゥハが迫る。
  昔ながらのグリニッジ標準時にして夜も遅く八時頃、ようやく周囲の山々は残照に染まり、修道院の鐘が山間に淋しく澄んだ音を響かせる。こうして静かに通りすぎてゆく自然物の太陽を、俺たちはどれほど夢みたことだろう。美しい田園生活の残影に沈潜し、朝日が昇るまで虫たちと草むらでじいっと眠るのだ。
 たどり着いた丘には、旧酸化鉄の風車がしるべのように点在している。土埃をあげる道路脇、潮風で錆びついたらしい給油所もあった。
「じゅーう、くーう、はーち、なーな、ろーく」
 数をかぞえる少女の声が聞こえてくる。丘よりぐるりと見渡せば、カラコロまわる風車の石壁で目を伏せる少女がいた。遠くカルトゥハ修道院の鐘が鳴ると同時に、風車下の少女は目を開けた。
 なにを数えていたんだ、と俺は訊いた。「かくれんぼ」みどりの目をした少女は言った。「もう、おしまい」
 いいのか?
「うん、見つけてくれたから」
 彼女が手をひらくと一輪の青いバラが咲いた。「妹たちと一緒につくったんだよ、上手でしょう」
 いっとう懐かしい香りがする。これは羊皮紙の花だ。青バラを俺の胸に差しながら、彼女は悪戯っぽく笑った。
「わたしはサクラ。見つけてくれたのは、あなたよ」
 耳をつんざくほどの鐘の残響が風にくるまれ、丘の周囲を巡っている。
 イーニー・ミーニー・マイニー・モー、とうたう彼女の指先を追うと、隠れていた三人の子供が出てくる。四人の内、彼女は俺のことを最後に指さした。
「ママはいちばんの子を選んで、と言ったわ。だから、あなたは〝鬼〟じゃない」
 遠くで鐘が鳴っている。草原が風に背を屈めている。
 夢のつづきを見ているのだと思う、毎回ここへ帰ってくるのだから。俺たちは用意された螺旋に沿って進み、止まらない日の移ろいを巡ってきた。
 見つけたぞ、こんなところにいたのか。
 俺は三人いっぺんに抱きしめてやった。子供たちが言う、「家へ帰ろう」と。
 考えたことはあるだろうか――存在しうる未来から選ばれず、こぼれ落ちていった可能性のすべて、それらが一体どこへ行くのか。叶わない夢は見るほどに苦しい、願うほどに虚しいが、もしも叶うものがあるとすれば、それは誰かが願ったからだ。
「耳を貸して」と白い子供が言う。「60‡¶8:‡?」
 みどりを分けた道の途中、雪のような花びらが舞った。ミルク色のかがやきが内側からこぼれ、まるで嵐がくる予兆のような空を見上げる。高く高くものすごい速さで雲が流れてゆき、時折、ぱあっと目覚めるようにして空全体が明るくなる。美しいものを美しいと認めるとき、そこに希望を見出せることの僥倖をずっと知らずにいた。
 それでも、昔々に使い古されたセンテンスをいまでも憶えているのだ。あふれて満ちるものに名前などなく、大地を離れてなおも探し求めた四千年後の世界で、俺たちは生きていく理由を見つけた。
 ああ、わたしはこれをなんと呼ぼう。