時を食べた怪物 II.

 


 時間を食べる怪物と言われても、かほど奇怪な時計を前にしたらば人々は一様に首をひねることだろう。針もない、数字もない、一瞥していまの時刻を判断できやしない装置を果たして時計と呼べるのか。

「ケンブリッジの卒業生が学生時代を振り返って製作したとか――〝むだに時間を使うた報いで、いまは時間めがおれを使いおる〟というやつですかね、イギリスさん」ぼくはとなりの要人に耳打ちした。「その上お披露目したばかりだというのに、もう一五分近く遅れているじゃないですか」
 ぼくが研究開発課から支給された腕時計のほうがよっぽど正確だし、小型ボディに詰めこまれている便利きわまりない機能の数々は賞賛されてしかるべき一品だ。いくら除幕式にホーキング博士を呼んでいようとも、製作に一〇〇万ポンドを費やそうとも、間が外れて律もやぶれるような代物に価値は見出せない。
「博士の心臓に悪いのはたしかだな。ありゃ幕を引きながら自分も一緒に引いている顔だぞ」
 イギリスさんは存在感のある眉毛を持ちあげ、微苦笑をこらえていた。あの眉毛、何かに似ていると思ったら『セサミストリート』のゴミ缶に住むオスカーではないか。
 彼を警護するためにロンドンを出て東部のケンブリッジまで同行してきたが、コーパスクリスティ校の図書館前に展示された時計「コーパス・クロック」の除幕式は、ケム川の鴨の危機感の欠片もない鳴き声が聞こえるほど、平穏無事に閉式しようとしていた。見物人も地元の学生がほとんどだし、彼らはヘンテコ時計よりも著名な理論物理学者の一言一句に興味を向けている。屋外講義を聞くようなものだろう。
「バロウ村出のハリソンが製作した最初の海上用時計なんかも、まるで帆船を精妙に組み立てたような真鍮製の装置だったから、とても時計には見えなくてな。実際の航海でその正確さが証明されるまでは、世間の評価はこんなものだったよ。進化というものは往々にして奇抜なのかもしれん」
 イギリスさんは昨日の出来事を思い出すように語った。いつの時代の話ですか、と知りながらも訊くと、「何、それほど昔でもない一七五四年の発明さな」と老いらくの恋がごとくのたまう。なんとも食えない御仁だと思う、いや、そもそも人間とは異な存在なのか。彼は「英国(おくに)」の総体、国民の擬人観が姿形を成しているのだから。
 我が国は奇妙奇天烈な時計をしげしげと見つめていた。二〇〇八年の秋口に発表される運びとなった「コーパス・クロック」の上部には、時間を食べる架空の怪物「クロノファージ」が乗っかっている。遠目から見ると黄金の円盤のてっぺんに昆虫をくっつけたオブジェのようだが、バッタとトカゲの合いのこのような形をしたクロノファージは、よく見ると非常に精緻に出来ている。黒々とした眼球全体に金色の血管が網目のように張り巡らされて瞳孔を宝石のごとく守り、左右から出てくる目蓋が開閉することで猫の眼のようにまばたいたり、蜻蛉や妖精が生やしていそうな織り物に似た羽根が上下に動いたりする。怪物の下にあるアップルパイのような円盤がまわると、同心円状の三重の表面に多数刻まれたスリットから青い光がこぼれて人の目に映ることで時間を示す。これは目の錯覚を利用した仕掛けらしく、円盤を動かしているのは脱進機と歯車であり、近代の電子回路ではない。グラスホッパー脱進機の挙動に応じて円盤が回転し、前後の円盤のスリットが重なり合った部分のみ青い光が透過する。円盤の背後でLEDは常時点灯しているため、円盤の外周には青い光が漏れて幽玄な色合いを添えていた。
 このグラスホッパー脱進機、要は一定速度で歯車を回転させるための速度制御機能に当たるのだが、通常の時計なら内部に格納されて外部からは見えないところを、わざと外部に露出させてある――バッタ(グラスホッパー)ならぬ時間喰いのウィルス(ファージ)として。怪物は醜い大口を開いたまま手足と尻尾で歩行動作の真似をしており、一分に一度、一周してきた青い光、つまり時間をいとも簡単に食べてしまうような仕草をする。正時ごとに鳴る太い鎖が落下したような音は、棺に巻きつく鎖の音から人の死を表現している。
「見ろ、ああして前足で時を捕まえては見事にうしろに解き放つさまを見ていると、こちらの時間も目に見えない怪物に操られているようだな」
 イギリスさんは怪物を気に入ったらしい。この技術の背景には国の誇りもあるだろう。時計の重要性が増したのは、航海の安全を確保する上で長らく技術上の難問だった経度計測の精度を上げる必要に迫られた、一八世紀に遡る。イギリスさんも話していたジョン・ハリソンによって発明されたマリン・クロノメーター、その心臓部にあたる脱進機として考案されたものこそ、グラスホッパー式の脱進機なのである。
「ミスター・ハワード」
 除幕式が終了して博士と少し立ち話をしたあと、イギリスさんはブロードアローのシーマの軍用腕時計――日付はなく、秒針が小さく独立していて、盤面の上部は月齢表示のように太陽と月が昼夜に入れ替わる――文字盤を確認して言った。
「お茶の時間だ、なじみのパブへ連れて行こう」
 コーパス・クロックが展示されているベネット通りの図書館の角を右に曲がると、ケンブリッジでもっとも古い「ザ・イーグル」というパブがある。経年の雨脚が跡を残す外壁上方に吊られた鷹の看板が目印で、夏が終わっても二階の窓を開け放っている。イギリスさんによると、昔の火事で窓を閉じられたまま亡くなった少年がいまも幽霊となって出入りしているから、再び災厄を招かないために二階の窓は開けておくよう店主に提言したのだという。店には五五年ほど前の学者がDNAの二重螺旋構造について議論を繰り広げたらしい人気の席もあるのだが、イギリスさんは店内の一角にあるラフバーのいちばん端に腰を下ろし、「いつもの紅茶」を頼むと、ランプで赤く浮かびあがった天井に、大戦中の飛行士たちがライターやら口紅やら手持ちの品で描いた数字とアルファベットの並びと交差を、描きこんだ個々人が読むことでしか意味をなさない落書きのひとつひとつを、まるで夜空の星でも数えるようにして見上げるのだった。
「ケンブリッジくんだりへの公務に〝羊の番人(ハワード)〟を遣わせるとは」イギリスさんは言った。
「SASの連中は目立ちすぎるのでね。ぼくのようにどこにでもいる凡庸な男じゃないと」
「凡百を演じるの間違いだろう、MI6の人間がよくも」おれ相手に大法螺を吹けたもんだ、と我が国は紅茶カップのふちに唇をつけたまま呆れた。「ミスター・ハワードといえばイタリアの羊を追っているのが常じゃねえか」
 イギリスさんは代々の「ハワード」を知っている。殉職者なら特に憶えている。人々が国民としての意識に目覚め、社会の基盤が形成されると、土地神としての名付けを種にそこかしこで人形(ひとがた)をもって生まれ、土地の豊かさと歴史を糧に生長する――イギリスさんは、正確にはイングランドは、そうして生まれたという。植物や動物との違いは、ある程度まで成熟すると不老になること。肉体的な損傷で死ぬことはなく、国の衰退とともに老い、滅亡を予言して消滅すること。人前にはどこからともなく精霊のようにあらわれ、本能から土地を選び居着くらしいが、宗教や思想によっては祖国の「人形(ひとがた)」を機密にしている国もある。我が国イギリスはといえば、お馴染みジョン・ブルでもなく女神ブリタニアでもなく、よく似た背格好の四兄弟である。戦場の女神は過去に彼らの母として存在したという伝説もあるが定かではなく、兄弟はとり立てて美青年というわけでもない。ぼくらイギリス人の外貌をとってつけたら、まあ、こんなものだろう。隣国フランスの人形(ひとがた)など憎々しく美麗というから酷ではある。
 上から三人のスコットランドと北アイルランドとウェールズについては、ホーム・ネイションズなどで招集されて貴賓席に並んでいる場面くらいでしか、ぼくは目にしたことがない。そもそもゴシップ欄の記者程度の人間なら、どの要人が「国」であるかということも知り得ない。ダニエル・クレイグ扮する007くらいになれば、このように「国(かれ)」とお茶することもできる。何しろ、ぼくの職場でも彼らは王室とはまた別の階級であり、詮索無用とされている。「選ばれし者を王に据えても、政治的にはお飾りだったマーリンのようなものよ」と上司は言うが、もしかすると精霊と同じく見える者にしか見ることができない存在のかもしれない、と本気で考えたこともある。
 カウンターから出てきた人の良さそうな店主が、「おひとついかがですかな、カークランド卿」と熱く溶かしたファッジでくるんだスポンジケーキをふた切れ、皿に載せてきた。イギリスさんは素行の悪さで有名なロックバンドの兄弟にも劣らない、何世紀も前から耕していない眉毛を、弱々しく伸びた毛虫にしながら主人の好意を受け取っていた。
 一介のパブでお茶をするイギリスさんは、一般人からしてみれば一代貴族として男爵位を授爵した貴族院議員という立ち位置になるらしい。とはいえ、爵位名の「アーサー・カークランド卿」を名乗ることは稀だし、上司の言うように議会で演説することなど滅多にない。エドワード三世から授与されたというガーター勲章も、毎年六月のウィンザー城内でしか身につけないから、ぼくらの祖国さまは毎日プレスされた格別に良い誂えの三つ揃いを着用して王族と並ぶこと以外、それはもう素朴なお方なのだ。本日もサルトリア・テーラリングで仕立てたスーツを着用している。
 一週間後には休暇を終えてイタリアへ戻るのですが、とぼくは運ばれてきたケーキをひとくち食べてから言った。「あなたとお会いしたくて、今日の警護を申し出ました。手渡したいものがあるのです」
 アタッシュケースからとり出したものをティーカップの横に置くと、イギリスさんは日中でも少々薄暗い店内で、闇夜のごとく目をこらした。
「男性用の手帳(ポケット・ブック)じゃないか」懐かしい、と手にした手帳の束を指先でなめすように撫ぜる。ことさら慎重に扱わねば、ほろりと崩れてしまいかねない一八冊の手帳のうち、もっとも古い一冊は日付からして一八世紀半ばのものと判別できる。中扉には当時最新の馬車の料金表と、窓税の新旧対照表も掲載されていた。
「七つから九つの窓には税金二シリング、一〇から一九には四シリング――そうそう、金持ちの屋敷のあれこれに課税して財政を補おうとしたのに、税収はちっとも上がらねえ。そうこうしている間に貧民層が拡大されて街の衛生状況も悪化するばかりだから、参ったよ」イギリスさんは少年に若返ったような表情をしている。「おれもこの頃くそったれのジェームズをフランスに逃がしたあと、オランダ相手の機嫌取りやら、新しい法律の発布やら、改宗のまとめやらに奔走してさ。卵を食べるとき大きいほうの端から食べるか、小さいほうの端から食べるか、とか。それにウィレム三世の持ちこんだジンを飲みすぎて、危うく国ごとアル中に――」
 そこまで言いさしてから、はたと彼は二一世紀の若者、つまりぼくに気づいたようで、おそろしくわざとらしい、明らかに諜報員向きではない空咳をした。紅茶を喉へと流しこみ、二三歳ぽっちの老成した青年の真顔に戻ったかと思えば、「おまえさんには退屈な話だったな」すまない、とぼそぼそ謝る。気を取り直してアン女王が表紙を飾る手帳を丁寧にめくり、海草酢で磨いて歯を白くする方法の紹介ページをながめると、再び表紙に戻って絵柄をよくよく確認した。
「大英図書館所蔵の最初期でも一七五三年のものだから、アンの時代に発行された手帳は研究対象になる。連中、泣いて小躍りするぞ。売値の相談か?」
 売るより先にと断りを入れ、ぼくは手帳の裏側に署名された持ち主を指し示した。ジェイン・オースティンあたりが書く手本のような筆記体で、六文字のアルファベットが綴られている。
「この名に覚えはありませんか。この年代に〝ハワード〟を名乗っていた人物のことは?」
 イギリスさんは黙したのち、ああ、と答えた。先刻とは目の色を変えて署名を見つめている。
「ベスと、エリザベス一世とウォルシンガムのころに国家的な情報機関を立ち上げて以降、ハワードは諜報員によく使う暗号名なんだ。最近だと第二次大戦中のイタリアでも世話になったよ。おれがヘマして勾留されたとき、脱出を手助けしてくれた」
「いえいえ、我が家のほうこそ、楽天家の祖父が生前お世話になりまして」
 二〇世紀最後の年に亡くなった祖父の分まで礼を述べると、イギリスさんは雷雨の中の家鴨のような形相で、ぼくを凝視した。なんだって、と訊いてくる。
「似ていませんかね」ぼくは照れ隠しに笑っておいた。「戦時中イタリアであなたとお会いしたハワードは、ぼくの祖父です」
 彼は孫を名乗るぼくの顔と背格好をまじまじと観察したのち、あーとかうーとか母音を発してから合点がいったらしく自分の膝を打った。「似ている」
「こう見えてもスパイとしての能力は祖父より上だと自負しています」
「そっくりだ、とりわけ口軽い性格が」
 ええ、どうも!
 ぼくは祖父譲りの口軽さで、これらの手帳を自分が入手した経緯を説明した。イタリア人の祖母と結婚した祖父ハワードは、諜報員の仕事から退いたあとも祖母とローマに定住した。ローマはアバディーン出身の祖父にとって第二の故郷ともいうべき土地だろう。ぼくは祖父に憧れてSISの仕事に就いたから、幼いころより祖父の昔話に出てくる怪奇小説のようなイギリスさんの存在も聞かされていた。若かりし時分はソフィア・ローレン並みの美女で大戦中も欧州各国の男から求婚された、と公言する祖母を射止め、祖国から離れても元来の軟派からイタリアでも愉快に暮らした、愛すべきおじいちゃん(ノンノ)。よくわからない民芸品の数々に祖母の裸体画のスケッチなど、遺品なら多々あっても、もちろん諜報活動の記録なんてものは一切残されていない。もっとも書物だけは書架に腐るほどあり、夏休みに独りでローマへ遊びにいくたび、そこから毎回ぼくに何冊か寄越してくれていた。
 最後に会ったとき、祖父は具合が悪く寝込んでいて、いいかい、とぼくに何度も念を押した。あの日のことは今でもよく憶えている。
「わたしからの最後の本だよ。そこに何物かあったかどうかは、人の心をお読みになるあの方だけがご存知だろう。わたしには解らないが、あの方はご存知なんだ。わたしは持てるものをすべておまえに授けたからね、おまえはそれをわたしよりも上手に使いなさい」
 祖父がくれた本は正確にいうと、革製本でもペーパーバックでもなく、麻紐で括った一八冊の手帳の束だった。終戦後にイングランドへ何度か帰郷したが、最後の年に代々「ハワード」の棺に納め損ねた私物の保管庫で発見したという。ぼく自身も採用後に数年経って「ハワード」を継いだのち、本部の資料室で暗号名ごとの箱を見かけたが、どれも検閲を免れた専用のマグカップや嗅ぎ煙草入れなどであり、形見分け以外の用途で職員の関心に触れるものはまずない。
 祖父は孫の手を握り返そうとしたが、途中で握るのをやめ、じっと動かなくなった。ぼくは祖父の顔にめいっぱいキスをした。
 そうか、と息を吐いたイギリスさんは、天井の落書きと同じ眼差しで裏表紙の署名を見つめていた。
「あのハワードが、いまを生きるおまえたちと巡り会わせてくれたのか」
 ぼくがイギリスさんの護衛を申し出た目的は、彼に直接これらを引き渡すことにあった。祖父の葬儀のあと、祖母と一緒に分厚い束をまとめている麻紐を解き、古色蒼然とした手帳をひと通り捲ってみたわけだが、不思議なことにどれもが白紙だった。扉と見返し、最初の数ページには星占いや歯痛に効く料理レシピなどが仕様で刷られてはいるが、それ以外の記入用ページは白紙が単に色褪せているだけなのである。しばらく祖母と何もないページを絵画を見る目で観照したものの、祖母がつくったカルボナーラの匂いに腹の虫が鳴るだけで、効果はなかった。ともかく夕食にしようと食卓についたところで、籠に入った檸檬、林檎、それに甘橙を見てふと思い当たる。「同調者のしみ(sympathetic stain)」、あぶりだしか。
「アメリカの機密通信委員会が利用した、不可視インクの?」
 イギリスさんが目を見張る。一七七八年のアメリカ独立戦争中、ワシントンのもと発足した諜報組織カルパー・リングは、当時の諜報員に向けて通信を送る場合、表向きは王党派のふりをしてあれこれ書き、余白に不可視インクを使用して真の情報を記すよう推奨したという。彼らが見えないインクや符号・暗号を用いた機密通信は、しかしイギリス軍が押収して解読を行った。「こちら側の暗号も二度ほど見破られはしたが、連中の情報袋も半分以上はお見通しだった」とイギリスさんは言う。アメリカ側も文書が押収されはじめたのを察知すると、新たに考案した辞書符号を利用したから、以降、不可視インクは両者の間で使用されていない。ステガノグラフィーの一種とはいえ要は単なるあぶりだし、可視化するための化学薬品さえ入手できれば子どもでも解読できる。
 ハワードの手帳にしみはないが、彼は一八冊の署名の上部すべてに同じ節を書き足していた。
「〝透徹な目に触れたならば直ぐにダイヤモンドが光り出すだろう〟――これは機密通信委員のひとりロバート・モリスが、パリの委員に宛てた文書にある一節です」
 ワシントンは「同調者のしみ」を白インクとも呼んでいた。適当な処理をすると濃青色に見えるようになる、塩化コバルトの希水溶液である。ぼくはオーブンで加熱し、紫外線のもとで一から十まで試験し、最終的にはヨウ素蒸気を使用した。祖父の願いでもあるし本格的にやりたかったのだ。ヨウ素の結晶を熱した蒸気によって筆跡が現れるかと思いきや、このハワードは書きこむ前に紙をほどよく湿らせでもしたのか、筆跡が現れにくい。なんとか文字が判読できるくらいに出現しても、喜んでいる間に消えてしまう。しかも書き方が小憎らしいほど上手いため、ペンのひっかき跡すらない。第一にものが古すぎる。もろい紙をやぶいてしまわぬよう取り扱うだけでも大変なのに、一冊でかなりの分量があり、それが一八冊あるのだ。一枚一枚を丁寧にめくり、ヨウ素の蒸気で文字が復活した一瞬を逃さず記憶にとどめ、別紙に写し、これをひたすらくり返す。祖父が最後にくれたものは学生好みの化学実験ではなく、ローマから発掘されたフレスコ画の修復並みに根気のいる仕事だった。あまつさえ出現した文章どれもが暗号化されているのだから、もはや苦行でしかない。
 暗号自体はひと目で単一換字方式とわかる数字の羅列だったので、アメリカ独立戦争時の流行りに見当をつけてパターンを探し、ブック暗号と判明した。そうして解読し直した文章を再び別紙に書き写していくこと十数年――「ようやく解読が完了したんですよ」
 こちらにデータを移し替えてありますから、とぼくは取り出したUSBメモリーを手帳の横に並べた。彼は宇宙人でも目撃したかのように驚き入り、絶句している。ご苦労、と辛うじて口に出されたので、さほどでもありません、とぼくは答えた。実際もう畢生の作業でも構わないと割り切り、休み休み解読していた。SISの面接試験でも果てしない解読の話は面接官にかなり受けたし、採用後ともなると開発部の設備がいくらか利用可能になり、アナログ作業も捗った。
「ブック暗号と言うが、何を底本にしていたんだ」イギリスさんが戸惑いながら訊いてくる。
「アメリカ合衆国の独立宣言です」
 出鱈目を言うわけにもいかないから回答すると、イギリスさんはケーキに突き刺すフォークの加減を間違えたらしい。的を射抜いた矢のごとく垂直に屹立した銀の柄が、左右に減衰振動をする間に、「手帳の中身は国家機密に関わることか」と五線譜の低音部に並ぶような声を出した。
 その不安は直ぐに取り除くことが可能だ、答えはノー。無妻男の単なる記録である。国の諜報活動に従事していたと判断できる文面もしばしば登場するが、任務内容を記した箇所はあまりなく、特筆しても現代では公然たる事実のものばかり。彼自身が憶えておきたい私事を守るために当時の暗号を用いたのだろう、解読して中身をひも解く気のある人物にしか知られたくなかったものと思われる。
「その人物がおれだと?」イギリスさんは当惑した。
 ぼくは「ハワードの手記」全文を読んだ。彼は一日を見開き二ページに収め、筆を執る時間と体力に余裕のある日だけ記録している。読めば解る、彼の記録は本日の夕食は何々、お茶は何々という類のものではないし、何時何分に何処其処へ行く、誰其と会うというものでもない。彼は老年のモームと安楽椅子に揺られながら気の合う会話を楽しめそうな人物のようで、ぼくが思うに彼が自覚していた不平と皮肉を隠そうとしたのだと思う。飲んだくれの海軍将校が書く回想録などが良い例である。自国がしくじった部分をこねくり回したところで結局は事実の強みに負け、本人の意図に反して母国艦隊の敗戦記が出来上がってしまう。そんなふうに「祖国」の恥を外部に漏らすべきではないと、彼は考えたのではないか。
「ハワードの手記はイギリスさんが読むべきものでしょう。一読なさったあとの処理も、あなたにお任せします」
 イギリスさんはUSBメモリーを摘むと、英国陸軍近衛兵の形をしたメモリーを胡散臭そうにまじまじとながめる。USB近衛兵は可動式、ちゃんとマスケット銃も持っている。「首を折り曲げてポートに差しこんでくださいね」と教えたら、イギリスさんは苦笑いした。それから手帳を何度も手にとり直し、一瞬ではあるが、ぼくの前で怯えた顔をさらした。
「おまえはこの中に光る〝ダイヤモンド〟が何を意味するのか、もう知っているわけだな」
 イギリスさんの眼光が、ぼくを射抜く。年長者の鋭さというものは、大抵しわくちゃに垂れた目蓋でいくぶん中和されているものだが、彼は外貌だけなら青年なので質が悪い。
「少なくとも祖父が自分の死期を悟り、ぼくに未読のこれらを託した意図は汲みとりましたよ」
 ダイヤモンドが埋まっていても、それを文章から抜き出すことは祖父にもぼくにも不可能だ。この旧套に守られた石は「祖国」の目に触れることで発掘され、その手中においてのみ輝くものである。
「イギリスさんこそ、一八世紀のハワードの名が出た時点からご存知なのでは?」
「確信がない」とだけイギリスさんは答えた。それなら尚更あなたに必要なものです、とぼくは最後に拝み倒す調子で手帳を押しつけると、お茶も終えて店を出た。
 店先でイギリスさんは、店主にケーキのレシピを教えてもらえないかと頼んでいた。店主は快く承諾し、イギリスさんが自分の革鞄から差し出したノートと万年筆を使ってレシピを書いてやる。
「甘いものが好きなやつだから、つくってやれば喜ぶだろう」とはにかんだイギリスさんを不思議に思い、誰のことですか、と訊ねた直後、彼は前触れもなく石像のように硬直した。リンカン大聖堂で騒動を起こし、天使に石にされた小悪魔(インプ)のごとく微動だにしない。
 店主とぼくは驚いたが、もちろん像に落書きをするような悪餓鬼ではないから礼儀正しく無言で待った。
 たっぷり数十秒経ったのち、イギリスさんは何事もなかったかのように首を傾げて「はあ? 誰とはなんだよ」とぼくの質問の答えなのだろうが、まったく不可解な返答をしたのである。
 ロンドンへ向かう列車に乗りこんだイギリスさんは、自分の肩を念入りに揉みほぐしながら、おれも年かな、と童顔をしかめた。「二〇世紀に入ってから稀にあった症状が、ちかごろ頓にひどくなってやがる。背骨がズレたような感覚だ、王子からは螺子を巻き忘れた時計のようだと茶化され――他国に知られていないのが幸いさ。年に何度か、サマータイムの期間中にうずく、夏至の日がいちばん多い」
「中毒とは考えられませんか、アル中とか、ヤク中とか」
 冗談で言うと、睨みつけられてから「どれも治した」と反論される。「そりゃあ、若気にはジンやアブサンや阿片が美味い時期もあったさ。いまは紅茶一筋」
 実を言うと、彼の症状に心当たりがある。それこそ「ハワードの手記」の内容で見当をつけた次第で、ぼくも確信はないからイギリスさんには黙っておくことにする。
「そのズレで他にも支障が出るんじゃないですか」たとえば記憶の矛盾とか、とぼくは訊いた。
「どうせ記憶の矛盾なんか漫然と働いていてもたまるもんだろ」とイギリスさんは薄笑う。「今年は何年のはずだとか、この舞台は前に観たかもしれないとか――どうでもいいことなら積極的に動く必要はない、いずれは適応していくんだから。七王国のころからずっとだ。王座が交替するたび、おれの頭はちょっとおかしくなる。レディ・ジェーンは可哀相だった。ベスが長い眠りについたとき、おれは泣いた。
 新しい時間には畏怖が足りない。それを失ったらという想像の果てに、おそろしいと思えるものが何もない。フランスやアメリカは妖精や幽霊を幻覚だの病気だのと言って笑うが、国(おれたち)は本来そっち側に近い存在じゃねえか。土地の人間が信じなくなったから見えないだけで、アメリカだって子どものころはちゃんと見えていた。心が忘れたものを、目は見なくなる」それに比べりゃ記憶の矛盾なんか日々の泡だ、とイギリスさんは言い切った。
 二駅ほど通りすぎても、ぼくらは沈黙していた。車窓を流れる空がどんよりと曇っている。灰色の雲は動いているのか止まっているのか判然としない。
「あなたは見えていても、考えたくないんですね」
 ロンドンで列車を降りた直後に振り向いて言うと、開いた扉の向こうからイギリスさんは無表情にぼくを見下ろした。服従のキスを、と言わんばかりの皮手袋を着けた腕が伸びてきたが、黒い手はぼくの肩へ労るように添えられるだけの動作に終わった。駅舎を出ると天候は崩れ、雨が降りはじめていた。バッキンガム宮殿前でイギリスさんを見送ったあと、ぼくは果たして祖国が最後まで後生大事に取ってある矜持を踏みにじったのだろうかと自問した。