時を食べた怪物 VI.

 

 あれからイギリスさんは、中庭から摘んできた秋明菊の花束と紅茶缶――ミスター・モーリス直伝のブレンドで、との所望され――をフランスさんに手渡すと、自宅から蹴り出すようにして見送った。正確には見送りの最後に、「じゃあな、次回会うまでに魚釣りの練習しておけよ」と屋外から満足気な声が聞こえた矢先、イギリスさんはサンルームの窓へ小走り、閃光のようにカッと叫んだ。「てめえの言語は近所迷惑になるから外じゃ黙れっつうんだよ、ど腐れ野郎が!」

 隣国よりも我が国の声量と内容のほうが断然ご近所――とはいえ半径一マイル四方に隣家はない――の迷惑になることは明白だが、そんなことよりも、ぼくは秘書の誘いをどうしたものか。
 情報機関が野放図に拡大した現代こそ、ぼくが現在所属しているような各種の情報機関によって選別され、あるいは各々の情報担当者が責任回避のために中和した形で出してくる毒を抜かれた情報ではなく、生きた情報そのものに触れることが重要なのだとイギリスさんは言う。ぼくの憶測にすぎないが、一八世紀の「ハワード」は陸軍秘密諜報部と兼任して「イギリスの秘書」に関与していたのではないだろうか。表向きは官庁の会計検査係のマイクロフト・ホームズのように、国家機関の中で時に利益を相反する対外情報組織と国内治安維持組織のあいだで動く非公式の役職に就いていたのではないかと思う。イギリスさんと彼の性格ならば、ディオゲネス倶楽部の変態的な規則――人付き合いの嫌いな者が集まり、一切の会話を禁止している、あれだ――も苦にはならないだろうし。
「ハワードの手記を読んだ」
 イギリスさんが肘掛け椅子に身を沈めて言うので、ぼくはひとつだけ気にかかっていたことを彼に訊ねた。
「六番目の時計はどうなりました?」
 ハワードの手記は一七八八年の一二月五日を最後に途切れている。ハリソン親子が製作した六番目の時計、それがイギリスさんの手元に届いている可能性は低い。それはケンブリッジで彼の症状を実際に目にして確信に至り、時計の行方を調べようかとも考えた。当時のアメリカに暗号名「三五五」号を名乗る女性諜報員が存在したことから、時計は北アメリカ大陸に渡っているかもしれないという調査の糸口もある。しかしながら晩年の祖父ハワードが発見し、孫のハワードが解読した、何代も昔の先任に当たる「ハワード」の手記を読むにつけ、後々のことについてどうこうするべきは彼の上司――あるいはそう称しても構わないなら彼の友人――イギリスさんであろうと判断した次第である。
 イギリスさんはモリス商会の椅子に深くもたれこみ、草臥れた背広のような体勢で頬杖をついた。順を追って話そう、と彼は言った。
「ハワードの墓はグリニッジ北西のハムステッドにある、セント・ジョンズ教会の付属墓地にある。ジョン・ハリソンと息子のウィリアムと並んで眠っている。
 一二月五日にウィリアムと酒場で飲んだあと、ハワードはテムズ河東南岸のロザーハイズ地区の宿屋『エンジェル』に泊った――あいつは痛風で寝込んでいた五年間の他は、一所に定住することなく日がな宿暮らしをしていたんだ、荷物もほとんどない。その年の冬もテムズ河は凍りかけていた。ロザーハイズ沖に船を停泊したひとりの善良な船長が、『エンジェル』の主人に許可を得てから小さな錨を陸上に揚げ、それを地下室にあるワインセラーに仕舞い、綱を宿屋と支柱のまわりに固定することで船を係留した。これがいけなかった――彼の船が急に動きだしたのは、ハワードが宿の二階で寝ている夜中のことだった。固定された綱が支柱を破壊し、宿屋ごと平らに押し潰してしまった。解けた氷塊が船を引きずり去ったんだ。宿にいた五人が死亡――年老いたハワードもその一人だった」
 あいつの身元を確認したのも、おれに知らせてくれたのもウィリアム・ハリソンだったよ、とイギリスさんは語った。サンルームの大きな窓から入る陽光が、暖炉のほうまで届き艶なしの金髪を照らしている。フランスさんがハープシコードで弾いていた『ロンド形式のミュゼット』も聞こえないと、リトル・マーロウの岸辺は鳥が歌をやめたとたん静謐にすぎ、秋でも暖炉の焚き火が恋しくなる。
「あいつは完璧な男だった。あまりにも見事に隠し通したから、いまでも本名は知られていない。〝ハワード〟の名は次代へ引き継がれ、仕事関係の書類や手紙はすべて回収したはずなのに、あれほど重要な手記を見落としていたとは」
 イギリスさんの自嘲に、二〇〇年前なら無理もない、とぼくは答える。最新の料金表や新旧対照表を目的にポケットブックを持ち歩く者も大勢いたろうし、検査したとしても彼の工作は周到だから当時の人間が隠し事を暴くのは難しいだろう。
「時計はやはり〝三五五号〟というアメリカ人女性諜報員のもとに?」
 ああ、いや、とイギリスさんは首を振った。「調べてみると、彼女はハワードの手記に書かれた日付から八年前に亡くなっている。だが亡くなる年と一七六五年にも子を出産していてな。先の子はジョアン・ホリンズ、後の子はロバート・タウンゼントと名乗らせていたそうだ。
 ロバートは両親のことを教えられないまま、ニューヨークでコーヒーハウスを共同経営し、商売の傍ら情報収集の場を利用していたらしい。店の名前が『沈黙』ってのは皮肉なもんさ。問題は長男のジョアン、この子は生まれて間もなく母親が身を案じてイギリス側へ逃がしている。七月五日の航海記録にあった」
 一七六五年の七月というと、ハワードが単身でプリマスを出航した日と合致する。おそらくジョアンは、ハワードと三五五号のあいだに生まれた子なのだろう。彼がジョアンを連れてロンドンに戻ったとして、子育てはどうしていたのか、教会に預けたとでもいうのか。文面にそれらしき記述はなかったと思う。
「ウィリアムだよ、ミスター・ハワード」イギリスさんは言った。「ウィリアム・ハリソンだ。彼の子どもは尊敬する父の名をとりジョンという。一七六一年生まれの子なのに、出生届が受理されたのは四年後の九月と記録されている。ウィリアム本人はクロノメーター、第四号の実験航海に明け暮れていた時期さな」
 一八世紀はペストも流行したし、生後直ぐに衰弱死してしまう赤子が多かったと聞く。詮ずるところウィリアムの実子は洗礼前に亡くなり、四年後にハワードの息子ジョアン・ホリンズを養子に――表向きは嫡子として――ハリソン家に迎えたというわけか。
「まさに取り替え子(チェンジリング)だな」彼は言い、食堂の扉からこちらを覗くブラウニーに向かい微笑した。ブラウニーは長いひげを太鼓腹の上で揺らしている。
「ウィリアムの息子はイェイツが詠うような美しい場所にいった。スコットランド兄さんの土地で元気に暮らしていたことだろう。兄さんたちも四男坊(おれ)以外の生命にはやさしいからな」
 ところで会話の途中から、イギリスさんの周囲に何やらきらきらしたものが増えている。ケンブリッジで対面したときも両耳のあたりが微かに発光していたが、あれは耳飾りの一種だろうと思っていた。レッドカーペットで女優が身につける宝飾品が輝いて見えるのと同じように。イギリスさんのきらきらは、北のウェアデールで採れる蛍石の蛍光に似ている。美しい緑の結晶で、太陽の光のもとでさえ青い光彩を帯びて見えるのだ。
「ハワードは最後まで父親として名乗り出ていない。息子からすれば、父親の友人のハワードおじさんという位置づけさ。ジョアンは時計職人ジョン・アーノルドに師事し、コーンヒルの工房に住み込みで働いていた――アーノルドもリピーター付きの指輪型時計をジョージ三世に贈ったくらい腕がいい。コーンヒルはテムズ南岸のロザーハイズから河を渡って二マイルちょいか。時計を預けにいくことも可能だろう」
 それにしても、ハワードの死を報告したウィリアムも、時計を預ったジョアンも、どうしてイギリスさんに黙っていたのだろう。ぼくは彼に疑問を呈した。イギリスさんはハワードの死後、ウィリアムにもジョアンにも一度も会えなかったと静かに語る。ウィリアムの報告も本人と面会したわけではなく人づてに聞いたのだと。
「くさった生活のツケで仕事は山ほどあったし、山場を越えもしないうちにバスティーユが陥落し、フランスを殺るなら今しかねえと欧州連中を集めたらコルシア出の小僧が粋がるし、フレディ、ジョージ三世は完全に狂っちまう――ハノーヴァー家には遺伝性の病があるとか躁病だとか、現代医学なら正しい治療をしてやれたかもしれないが、あのころ拘束具で縛られたフレディとシャーロットの涙を見るのは辛かった。
 不幸は立て続けにやってくると相場が決まっているもので、同時期アイルランド兄さんが反乱を起こした。色々と呪いをかけられつつもどうにか鎮圧し、おれの正式名称は一七八一年から「グレートブリテン及びアイルランド連合王国」に改称された。ジョージ四世が戴冠したとき、おれはやはり頭をちょっとおかしくした。しばらく近過去のことが思い出せず、ジョージ四世はスコット兄さんと仲良くなっちまうし、会いたくもないアメリカの喧嘩も買わなきゃいけなかった、最悪だ。
 時代が『大英帝国万歳』と叫んで阿諛追従してくるころには、フレデリックもシャーロットもとっくに神のもとへ連れ立っていた。ピットもいった。おれがセント・ジョンズ教会へ花を手向けにいったとき、墓地にはハワードとハリソン家の全員が待ちくたびれて眠っていた」
 ハリソン家は七代目で断絶した、とイギリスさんはうつむく。
「もとより不毛な交際をしないよう、第二次大戦後には一代貴族の男爵位を授けられ、署名はこの名で通している。これでも位(くらい)はミセス・サッチャーと同じなんだぜ」
 イギリスさんはヴァージニア・ウルフの『オーランドー』のようなひとだ。肉体は三六歳の女性にして、三六〇年生きたエリザベス一世お気に入りの美少年、やり手の大使、ロンドン社交界のレディ、文学者のパトロンとなり文学賞を受賞した詩人、恋愛遍歴を重ね、変化に富む時代精神をのりこなしてみせる――ぼくらイギリス国民の総意であり、代々王家の残照としての愛人、集合的な意識のように歴史根底は無数の死者となり、彼を構成しはじめる。彼ら「国」はそのそれぞれにおいて、死者をよみがえらせ、変身する、肉体を得る、三六〇年よりもっと長く。
 肘掛けに頬杖をつく彼の無言の視線を感じ、まるでオーランドーっですね、と言うだけにとどめ、ぼくは仕事で培った騙しの術で平静を装う。台詞を言おうか、とイギリスさんは芝居がかった調子で両手を広げた。「心の中で七六種類もの時間が同時に時を刻んでいるとすれば、人間精神にはあれやこれや――やれやれ――いったいどれほどさまざまな人間が宿っていることになるのだろう? ――なんてな」
 その完璧さに思わず感嘆の声を上げてしまう。その孤高に思わず同情してしまう。
「時計はありましたか、コーンヒルの工房に」訊きながらも、捨てられるか壊されるかしている可能性のほうが高いと思った。ゆえにイギリスさんの返答はまったく意外なものと言えよう。レッドライオン広場にあったというのだから。
「どうだ、『トリストラム・シャンディ』のような回り道だろう」イギリスさんはケンブリッジでクロノファージを見たときのように微苦笑をこらえた。
 レッドライオン広場の南側サミットハウスの外壁には、彼の銘板(ブルー・プラーク)が掛けられている。イギリス観光でおなじみ、著名な国民が住んだ家屋や歴史的な事件が起きた場所に設置されている、名前と年代を刻印したあの青い板である。時計は地下室に埋もれていたらしい。「地下室というのは、おまえ、なんでも見つかるし、なんでも失くしてしまう場所なのだよ」と昔おじいちゃんから聞いたことがある。ぼくは地下室という四次元空間の偉大さを改めて知った。
 ハリソン親子の第六号は片手に乗るほどの木箱に収められ、赤いサテンの布団の上に鎮座していたというから、ほとんど誰の目にも触れていないのだろう。イギリスさんは管理者の許可をもらい、ハリソンの五台の時計が再び螺子を巻かれるまで待ちつづけていたように、自分のためにつくられた最後の時計を、ようやく胸に抱いたのである。
「ハワード」ありがとう、とイギリスさんに力強く告げられた。「おまえに礼を言わねえと、じいさんのほうも一緒に。二〇〇年以上経ってようやく、あいつの墓前に報告できた」
 ありがとう、と彼は重ねて言った。天使を口説いておばあちゃん(ノンナ)に叱られていなければ、きっといまごろ陽気なノンノもぼくらの話を聞いているだろう。
「ハリソンの装置を見ていると、あまりの精巧さに時計を超えた存在に思えるんだよ。これを使えばターディスのように時空さえも飛び越えて、あいつらに会えるんじゃないかって。ハリウッドやNASAがどんなに予算をつぎこもうと、ハリソンの正確無比な時計ほど説得力のあるタイムマシンをつくることはできないだろう」
 イギリスさんは自分の胸に手を当てた。もしや胸ポケットに仕舞っているのか。いや、ほとんど球形らしい時計が、かっちり着込んだ彼のシャツとフェアアイルのウェストコートの空きに収まるはずがない。
「心臓のあたりに埋まっているんだ、鼓動に合わせて動くのがわかる」
 調子がいい、とにこやかに話す彼が一体なんのことを言っているのか、やにわには理解しかねる。キプリングの詩を詠んで5Wを連発したいところだ。音を聞いてみるか、と言われて彼の胸に耳を当てる自分を想像してしまい、丁重にお断りする。イギリスさんの周囲にいる緑のきらきらにも気を散らされながら色々と逡巡している間に、彼のほうから気前よく喋り出した。「ハワードが記述していたとおり、これは開花直前のバラの蕾と同じくらい美しい。よくよく観察していたところで磨いたダイヤモンドのごとく光を放ちはじめてな、螺子も巻いていない、油も差していないというのに、春の雪解けのように動きはじめたんだ。ちょうど卵から孵化したばかりの雛と同じで、全身が懸命に息をしていて、真鍮製なのに重さもそれほど軽い。真横から覗くと一三の層が各々規則正しい動きを反復している。ファベルジェの卵を開くと出てくる〝おどろき〟とかいう仕掛けだな。しばらく見惚れていたら、失せものを探せる妖精がまじないをかけて、おれの体内に押しこんじまった」
 失くす前に入れておけって、とイギリスさんは事もなげに言った。ぼくは二の句がつげずにいた。「おれはよく物を忘れるんだ」と携帯電話でも扱うように話すものだから、それは正しい使用方法なのか、平気なのか、とぼくは続けざまに訊いた。魔法にもほどがある。
「まじないは対象に方向性を示したり、助言を与えたりする補助的な力にすぎない。美味い料理に添える葉っぱのようなもんさ」パセリだったか、タイムも添えるな、フランスがよくやる、とイギリスさんはどうでもいい部分を付け足した。
「正しい論理に従ってものをつくれば、機械は必ず命を持つ。ハリソンの言葉は本当だった。ジョンとウィリアムはそれを証明した。
 昔なら、時間というものは未開へいくほどなきに等しく、立体幾何学に基づく互いに入れ子になった空間があるだけだった。生者と死者が、その時々の思いのありように従って出入りできた場所も、いまや神話か戯言だ。光と大気の加減によって見えるのみの存在なんだろうな」
 向かいにつくねんと座るイギリスさんは、冬の枯れ木に見えた。居間に飾られたグリムショーの風景画とそっくりだ。この絵画のように時代の波に打たれて消失した風景は多かろうが、彼は過去の上に建ち並ぶマーケットを普段どのような思いで眺めるのだろうか。時計の調子は心配だし、ともすればジェイン・オースティンからシャーロットの偏見とダーシーの高慢を両方とも与えられてしまったようなイギリスさんではあるが、ぼくのように自分が見るものを他の基準に合わせて恥じ入るほうが、彼よりよほど卑怯で、臆病者なのかもしれない。目が見ないものを心は忘れる。緑のきらきらは、そんなに悪いものじゃない。