Menschliches, Allzumenschliches 1.NIGREDO


Timeline: Before EP1





 黄金の柄すら敵の血で染めたという聖剣“デュランダル”。
 失われた地で語り継がれた歌に登場するそれと同じ名を冠した紅の戦艦が、暗い宇宙(うみ)の底から浮上していく。
「本艦はまもなく、クーカイ・ファウンデーションへの着艦準備へと移ります」
 落ち着いた少女のアナウンスが流れ始めると、帰港準備で慌しかった艦内はますますざわめき出す。今回も無事に帰って来られた安堵のせいか、行き交う人々の顔には笑顔がある。そんな人々を乗せたデュランダルの鋭利な剣が向かう先には、水面に花弁を開いた蓮の花のような形状をしたコロニーがあった。

「ちび様、お疲れっ!――って、えらい機嫌ナナメですなぁ。回収、上手くいったやろ?」
 結った金髪を軽やかに揺らして、メリィは隔離格納庫からブリッジへと戻った小さな艦長を迎える。
 同じように「お疲れ様です、ちび様~」と、パネルのキーを叩く指を止めて笑顔で自分を労う百式達に「おう」と軽く手を振った後、黒いロングコートの裾をたなびかせ、Jr.はその赤い髪を面倒そうに掻きあげながらブリッジ中央の艦長席のコンソールにドカッと寄り掛かった。
「機嫌悪ぃのはお前だろ、メリィ」
 隠し事を見透かした目で見上げられ「何がですのん?」と陽気に尋ねると、Jr.は指先をちょいちょいと動かし彼女に艦長席へ座るよう促した。仕方なく腰掛ければ、結った金髪の束を梳いて幼い手が、インプラントした両のこめかみの制御デバイスへと触れる。メリィがその感触に僅かに全身を強張らせると、その手は安心させるように頬をひと撫でし、彼女の頭部を青白い温かな光が包んだ。
 すると、彼女が先程から感じていた脳天を刺すような鈍い痛みが溶けるように消えていった。押し殺していた痛みを察知され、恐々と顔を上げると、目の前で笑う得意げな顔のJr.と目が合う。それを見て、こちらも満面の笑顔で礼を言うと、ようやくJr.の機嫌は直ったようだ。
「いいか、前にも言ったがこういう時は我慢すんなよ。今回のはグノーシスの波動で空間が歪んだ際に、デバイスが血動脈を圧迫してたんだ」
 メリィに優しく言い聞かすと、その様子をメインコンソール席で静かに見守っていた姉のシェリィにも、
「シェリィもだぜ」
と念を押した。
「存じております。この子の痛み、よく気づかれましたね」
「何年お前らの子守してると思ってんだ」
 しばらく艦長席で呆けていたメリィは、百式達からの「メリィ様だけ、ずるいです~!ちび様、私達にもしてください~」というおねだり攻撃で我に返った。彼女達のそれを「また今度遊んでやるから」とあしらうJr.を見て、自然と柔らかな笑みがこぼれる。
 その横でモニタ作業を再開したシェリィが、その手を止めず冷静に告げた。
「それはそれとして。今回の航行も、ちび様がA.G.W.S.で暴れ過ぎたために燃料消費と物理的被害が大幅に拡大しております。最近、担当技師からも無茶をしないで欲しいとの苦情が入ってきていまして、ガイナン様から修理費について“給料から引いても足りないなら、コレクションを――」
「わ、わかった!マジで、ホント、気ぃつけるからガイナンにだけは言うなよ!今月はまだセーフのはずだ」
「そうですね、例の賭け事に手を出さなければ乗り切れるのではないかと」
 先程の頼れる兄貴の姿はどこへやら、Jr.の本気で慌てた様子を見てシェリィは少し微笑むと、着艦を完了したデュランダルを確認して、優雅に席を立ち百式達に指示を出し始める。
「みんな、ちび様のこと心配しとるんですよ。いっつも無茶しはるから。今回やって命あるだけ儲けもんやで」
「――わかってるさ。お前らには、感謝してる」
 メリィの言葉に一息おいて顔を上げたJr.の表情は、既に少年の影もなく、人命を背負う艦長の顔へと変わっていた。
「シェリィ、途中報告のあった“惑星アリアドネ消失事件”の原因調査用に中央電脳(ママ)から受信するパルスの調整とプライマーの再点検を頼む。何の残滓が見つかるかわからないからな。あ、活動阻止装置(アトラクト・インヒビター)の方も診るなら俺、立ち会うからさ。それとメリィ、次の出航までに例の新機のベンチテストできるよう開発局の連中に用意させてくれ。“ヨハネ(黙示録)”については、俺が処理する」
「了解」
 捲し立てるように指示されようとも、二人は慣れた表情でいつものようにしっかりと返事を返す。それを小さな背中で受け取ると、Jr.は「頼んだぜ」と言い残し下エリアへと消えていった。
 その後ろ姿を見送りながら、メリィは自分たちが製薬会社の披験体として人体実験を繰り返されていた頃を思い出していた。お互いがすべてだったあの頃の自分達にとって、施設から救い出してくれた二人の少年は、影も残さないほどの力強い光だった。年月を経てただ一人を残し大人へと成長したが、今でも暖かな木漏れ日のように自分達を包んでくれている。改めて、彼らの力になるのだと決意するには十分すぎる理由だった。
 視線を感じれば、隣の姉も同じことを考えていたようで、メリィは照れ隠しに「たはっ」と笑って見せた。


 ファウンデーションのランチ発着場へと通じるドックエリアの混雑の中、オイルまみれの作業服を着た賑やかな男達の輪の中心にJr.はいた。
「今回のジェネレーター、めちゃ良かったぜ!やっぱVXのが燃費いい。バランサーも実動通りバッチリだな。流石!それと、あのハンドガン、HG-75VXだったか?もうちょい弾数増やせれば言うことなしなんだよなあ。パックもWAGL上げずに1ランク上げられれば助かる。次までに頼むよ」
「ちび様ぁ。毎度のことですけど、機体ボロボロにしてきた挙句にそういう無茶な注文ばっか困りますよぉ」
 意気揚々と注文をつける乗り手に、整備士達は振り回されてばかりだ。けれど、出航前とは別人となって帰ってきた可哀相な機体の修理に既に取り掛かり始めた職人達は、ため息をつきながらもどこか嬉しそうで、
「まあ難しい仕事だろうな。けどよ、お前らエンジニアのメンテの腕、俺は誰より買ってるつもりだぜ。他のヤツになんか安心して任せらんねぇよ」
 当然できるよな、とでも言いたげな自信満々の笑顔でおだてられれば、“NO”とは言えないのだった。“異能者(ミュータント)”と呼ばれ蔑まれた自分達を拾ってくれたファウンデーション――偏見のない暖かい居場所を与えてくれたこの小さな艦長を、結局のところデュランダルのクルーは皆、慕っているのだ。

『Jr.
 その場にいたクルーと、ついカジノの話題で盛り上がっていたJr.は、フッと脳裏に流れ込んできた意識を読み取ると、ドックを後にした。
 慣れ親しんだその波動に急かされ足早に進みながら、道行く人々に声をかけられる度に「よっ」だの「さんきゅ」だのといちいち挨拶を返しつつ、声の主がいるであろうファウンデーションの執務室を目指す。


「――星団連邦所属の“百式汎観測レアリエンプロトタイプ(M.O.M.O.)”がU-TIC機関に捕獲されたとの情報が入ってな」
「アイツの耳には入れられん話だな――。U-TIC機関も表立って動き出したということか。だが、対策は進んでいるのだろう」
「接触小委員会には潜伏先の見当がついている。連邦の中から信頼できる者を救出に向かわせるようだ」
「すぐに手荒に扱うことはしないだろうが、捕獲したということは例の資料を解読できる術を手に入れた、ということか――」
「そんなところだ」
 二人の男が会話を切ると、静かな音とともに扉が滑らかに開いた。
「よぉ、ガイナン――っと、ヘルマーのおっさん」
 遠慮なく入室した少年は、目の前の椅子に背を預けた黒髪の青年と、その頭越しの画面に映る男に軽く挨拶をした。
 執務室は、ファウンデーションの町並みと同じく今日では珍しい前時代的な、骨董品並みの調度品が並んでいる。華美ではないが、その家具類の統一性と落ち着きから持ち主のセンスの良さがうかがい知れる。
「久しいな、ルベド」
「おいおい、勘弁してくれよ。“ガイナン・クーカイ・Jr.”!クーカイ姓を継げと言ったのはそっちだろ?」
 「ああ、そうだったな」と、褐色の肌から白い歯を覗かせて笑ったその画面の男・ヘルマーは、木製の椅子に腰掛けた青年と並ぶように、執務室のデスクに身を寄り掛からせたその少年を見て言う。
「お前がニグレドの養子ではなく息子になるという知らせを受けた時は驚いたぞ」
 よく似た面影を持つ二人を映すヘルマーの瞳は、ミルチア自治州政府代表としてファウンデーションの代表知事二人を見ているのではなく、父親が息子の成長を誇らしく思うような優しい光を湛えている。
「常に冷静なヘルマー代表の驚愕の表情は、私の可愛い息子にも是非とも見て欲しかったのだが」
「へいへい、優しいパパができて嬉しいぜ――ったく、いつの話を持ち出してんだよ。ほら、コレ」
 ガイナンと呼ばれた壮麗な青年は、Jr.が持っていたいくつかの報告書をその手から抜き出すと、重要な部分に目を通す。
「ヘルマー。本題だが、これで十一器目だ。“最後の贋作”がある可能性の高い“ヴォークリンデ”の方はどうなっている?」
「アリアドネの調査はこれから行くんだけどさ。その十一器目の回収途中にも、集団で行動するグノーシスと遭遇したんだ。あっちもソレがあるなら、何かヤバイんじゃねぇの」
「ふむ。Mr.ヴィルヘルムからは、現時点では順調だと聞いている。あちらには何やら“秘密兵器”もあるらしいからな」
「ヴェクターの秘密兵器とあれば、穏やかではないな」
 二人の会話を耳に通しながら、用を終えたJr.は、
「お前、これから例の浜辺(ビーチ)の新製品視察だったよな。借りるぜ」
 と返事も聞かずに、ベッド横にあったもう一つの椅子をデスクに寄せると、コネクションギアを起動させて、ホログラフィックキーボードのキーを叩き始めた。ウィンドウを何度も重ねながら、膨大な資料に素早く目を通す。

 しばらくして会話途中でヘルマー側へ別通信が入ったのか、ピピッと小さな機械音が鳴る。
「贋作も残るは一器か。状況が変わればまた伝える。件(くだん)の調査は頼んだよ」
 ガイナンが軽く頷くと、大画面のモニターは音も立てずに卓上へと吸い込まれた。
 それを確認してからガイナンは、
「昨夜も夢見が悪かったようだな」
 と隣のJr.へ目線を向けた。
 忙しなく動いていた指がピタッと止まり、低い声で画面越しにガイナンを睨む。
「――覗くなよ」
「お前の精神防壁(ブロック)が緩いんだ。酒でも飲んだのか?」
 それに言い返そうとしたJr.は、“669”と刻印された男の手が、同様に“666”の数字が刻印された自分の小さな手を追い越し、キーを叩くのを見て訝しむ。新しく出現したウィンドウには、骨董品オークションの大手“サザビーズ”の文字が光っていた。その“古代古書コレクション”の一覧からピックアップされた痛みの激しい一冊の古書。バツの悪そうなJr.の顔をちらりと見て問う。
「懐かしい表紙だ。お前のIDで入札してあるが」
「――聡い弟だな。お前、これ気に入ってたろ。そんで、まあ、狙ってて――こないだのステンレス製PM(マカロフ)見送ったのは痛かったけど」
 そう口ごもる兄を見て、てっきり自分のコレクションに加えるのだろうとお灸を据えるつもりでいたガイナンは、内心驚く。
 幾度傷つきながらも、その汚れたページに変わらず過去を伝え続けるこの本のように、赤髪の少年は時間を貫いてそのままの姿でいる。ただその瞳には、歳月を経て大人へとなった罪の光を深く宿していた。
 兄を越えて青年へと成長した弟は、哀れみか慈しみか、眉を下げる。
「そうか。午後からの予定は?」
「ん?出航時のミーティング内容に報告書まとめて、ヴェクター新機のベンチテストと隔離格納庫シェルター点検の立ち会い。他は後回しでもオッケー」
 言いながら再び作業を始めだしているJr.の眼前では、幾つものウィンドウが重なり合い状況を報告している。
「なら報告書も後に回して視察に同行しろ」
 そう言いつつ、UNPを取り出したガイナンは、電話の向こうにいる女性に、
「シェリィ、今から向かう視察にJr.も同行させる。メリィの方も都合をつけて二人で来てくれ」
 と言った。彼の耳元から微かにくぐもった声が聞こえてくる。
「了解しました。それでは、視察後のレストランの予約人数も変更しておきます。事業担当者が到着するまで時間はありますので、ビーチでごゆっくりできるかと思います」
 シェリィが淡々とそう告げると会話は終了し、UNPは黒いスーツの胸元へとしまわれる。その後、しばし流れた沈黙に、先に耐えられなくなったのはプライドの高い兄の方だった。
「――お前に気ぃ使われてもな。あんな夢、いつまでも引きずらねぇよ」
「俺はただ、たまには家族水入らずの時間も必要だと判断しただけだ。昼食は27区画で評判の創作パンらしい。放っておけば何も食べずに根詰めていただろうから丁度良い」
 そう話すガイナンは、随分と楽しそうだ。
 既にタイを締め直し、外出する準備を完了したしっかり者の弟を見て、『根詰めんのはお前も同じだろ』と念話で言い返し肩を落としたJr.は、メインモニタの資料を保存し終了処理をすると、先に扉へと向かう大きな背中を追う。
 ふと、以前この部屋で読んでいてビリヤード台の上に放り出したままの一冊の本が目に入った――扉をくぐる瞬間その一節が脳裏を掠めたが、水が指の間をすり抜けていくように、また深い記憶の底へと沈んでいった。

“愛している、愛していますとも。
――それはわたしの頸(くび)に結わえつけられた重石で、その道づれになってわたしは、ぐんぐん沈んで行くけれど、やっぱりその重石が思いきれず、それがないじゃ生きて行けないの”
―――「桜の園」第三幕/チェーホフ



 数日後――。
「嵐の内は暗く、風は恐ろしくうなれり――奇しくもそのさまは、赤子を抱く優しき揺りかごのごとく――か。嵐の去った後はいたって静か。なーんの痕跡もないぜ、オーバー」
 ジチッと冷たい機械音が鳴って通信が切れた後、A.G.W.S.に乗った赤い髪の少年は、これからの未来を暗示するかのような底のない暗闇をその青い瞳に映して呟いた。
「――にしても、ネロが釣りをしてるっていう地獄の湖は、こんな感じかもな」