メルキオールとわたし Barcelona バルセロナ




 わたしが見ている事象はともすると過去のものである、とメルキオールに話したことがある。アンドロメダ銀河は二三〇万年前のかたちを望遠鏡に浮かべ、太陽は八分前のまぶしい熱を放ち、飛行機は一〇万分の一秒前の空を飛ぶ。一メートル向こうに立つのは一〇億分の一秒前の恋人だ。そのときメルキオールは、こんな結論に至った。

「じかに触れた距離のときだけ同じ時間に存在するなら、ぼくらは手をつなぐたびに時間を戻せるでしょ、タイムマシンみたいに」
 あんまり簡単に奇麗事を言うので、スペイン人はこれだから困ると口にして、スペインじゃないカタランだ、と毎度のごとく訂正されながら、つないだ手を見つめて内心ひどく悔しかったのを覚えている。


 ペルシア湾の闇夜をしずかに進む飛行機が、間もなく真昼の空港に着く。反対側に向かう朝日は彗星のごとく過ぎ去り、窓に張りつく氷の結晶たちが悲鳴のように踊りながら消えた。輝かしいオレンジの光に沈んだバルセロナが眼下に映っている。

 六月なのにもう暑い。気温は三〇度を超えている。税関を出てまわりを控えめに見回せば、迎えのメルキオールが両手を振っていた。背が高いからすぐわかる。やわらかい栗色の髪に陽光がつよく射して、わたしは乗り継ぎのドバイから見た夜景を思い出す。
「来たよ」化石のようなのど仏に視点をあわせて言うと、メルキオールが笑う。
「ほんとに来た」にやけている。唇の左側が引きつるような屈折した笑い方は、メルキオールが一昨年に日本にいたころとなんら変わらない。
 くたびれた布ごしにわかる胸の厚さや半袖に収まりきらない腕の太さも同じだけど、ほんの一〇日前に眼の手術を受けたというからもう眼鏡をしていないし、見上げる背丈の上にあるオリーブ色の顔が写真よりも多少痩せていた。結構な頻度でビデオ通話もしていたのに、こうして一年ぶりに顔をあわせるとやっぱり奇妙な感じがする。抱きあうと塩素のにおいがして、前より随分かたい体つきに月日の経過を実感した。去年からはじめた水泳は順調らしい。つい先日別れたように見える颯爽とした再会を予行演習していたけれど、結局のところ何も実行できずにメルキオールの体温に触れている現実に涙ぐんでくる。のどへ突きあげてくる嬉しさは日照りの雨から尽きない泉になり、喜びそのものに抱きしめられているようだった。わたしが放り出したスーツケースを、メルキオールはどうにか動く片手で安全な位置までひき寄せている。
 第一言語をイベロアメリカ言語学科のスペイン語に変更してから早二年、ようやく留学費用も奨学金も準備ができた。これから一年間をバルセロナ国際大学の留学生として過ごす。


 わたしが外語大学からほど近い寮タイプのゲストハウスに入居して四年目の春、同じ大学の留学生別科にメルキオールが来日してきた。学科と校舎は違えど同じハウスに住んでいたから、わたしたちは結果として四六時中一緒にいるようになり、一年間の自分の写真を改めて見直すと大抵そこにやつがいる。料理をしたり、飲んだくれたり、掃除をして、時々教え合いながら勉強して、最初は日本語をまったく話せなかったメルキオールもビールを片手に会話を習い、馬鹿なことばかり、くだらないことでしょっちゅう笑い転げたり、本当に仲良くしていたんだ。

 到着口を出て駅まで歩く。カタルーニャ語とスペイン語と英語が混じった表記は、みじかい注意書きですら興味深く、メルキオールの発音を鸚鵡返しにするだけでも楽しくて仕方がない。あんまりくり返していたら「本当にわかってる?」と訝しがられた。
 ここがレンフェの駅、街まで三〇分くらい、昨日まで涼しかったのに今日ちょっと暑くなった、きみが夏を持ってきたでしょ、何食べたい、バレ、あとでレストラン行こう? そこのエル・ウナ、ぼくのピソに行ける……ペルドーニ、そこ危ないから気をつけて、メルシ、こっち来て。
 メルキオールの恐ろしく自然な日本語と母国語の切り換えに少し圧倒されながら、「これを使って」と列車の回数券を渡される。
「グラシアス」
「前と反対だ」
 メルキオールはにやりとする。
 うん、日本とは真逆の立場だわ。
 射しこむ日差しの中であふれる会話や笑い声も、言葉が解らなければ単なる音でしかない。行き交う人々と交差する彼らの人生が、メルキオールのやさしい日本語のうしろを車窓の風景としてとおり過ぎていく。飛行機に搭乗する直前や二日前まですら、どうでもいい内容をSNSでやりとりしていたのに、自分の耳にメルキオールの声を直接とおすと話がさっぱり止まらない。スペイン語とは何もかも異なる音の連なりを聞いた人々が、時折その視線をわたしたちに向けると、メルキオールはすこし誇らしげに胸を張る。
 バルセロ・サンツ駅の地下、スーツケースを軽々ひいて前進する無骨な手を追い、メトロに乗る。となり合わせの席で、今日は夏至の祭りで〝火の夜〟になるとメルキオールが教えてくれた。聖ヨハネの祝日は夏の到来を告げる。
「カタルーニャじゃ今夜のこと〝魔女たちの夜〟って呼ぶよね。何となく、なんか起こりそうな夜だから」
 昨夜も街の角々から燃えるものが集められ、盛大に焚き火をしたとかで、この焚き火の上を飛び越えたら罪が帳消しになると言われている。メルキオールの恋人ロシオは毎年これに挑戦しようとして、父親に止められているらしい。
 ロシオはメルキオールより二つ下の二十三、アルゼンチン人だ。少々口が悪いけれど、艶やかな真白い体も気概もはちきれんばかりの美人で、メルキオール行きつけのレストランで給仕をしている。
 改札を出ると、グランビア通りで大人の三倍もありそうな巨大人形(ジャガン)が体を左右に振りながら闊歩していた。王冠をかぶって剣を持った人形やターバンを巻いた浅黒い肌の人形は、人間と同じ容貌なのに、手や首がぶらんとしまま動かなかったり顔に表情がないから何だか怖い。メルキオールは、人形の内部で人がどう操作しているのか推測してみたら、それなりに楽しいと言う。同じく文字どおり人間が腕を組み合って上へ上へと塔を作っていくカタルーニャの伝統芸〝人間の塔(カスティ)〟も構造が重要だけど、最後は子供が頂上にのぼって塔が完成するルールを、危険だと毛嫌いしている。塔の高さは三階建ての屋根にも届くばかりで、案の定よく崩れる。時々亡くなる人もいるらしく、年に一度の祭りのためにそんな命がけにならなくてもと思わなくもない。


 わたしたちは海へ向かって歩き、古い建物がひしめき合う旧市街の中をぬうようにして滞在先へ向かう。道端の壁には立ち小便のしみがいくつも残り、あちこちの小さな商店からアラブ音楽が聞こえてくる。壁に背中をこすりつける感じで人や車をよけながら狭い路地を歩く。

 わたしが借りたピソは重い鉄扉をくぐった中二階で、メルキオールの目立てによると築百年は経っているらしい。片隅のらせん階段をあがった先の部屋に、小さな机と寝台が並び、角にほとんど仕切りのないシャワーとトイレと水道がまとめられている。ひとつだけある窓を開けても薄暗い玄関ロビーにつづく、太陽の光も入らないし風も通らない部屋を見るなり、メルキオールが呻き声をあげた。
「どして言わない、ここは良くない、悲しくなるでしょ」
「学生寮より安いから」
「じゃ、ぼくの新しいピソに来るといい。友だちと来月くらい家を借りたくて、もひとり探してる。レスコルツの家にするかも。古いけど、まあまあ安いから」
 ロシオのことを訊けば「彼女はお父さんと住んでるからいい」と言う。
 荷物を置いたあと、少し昼寝をすることにした。寝台にシーツだけ敷いて寝転がると、わたしはメルキオールを改めて観察してみる。手足が長い。指も長い。体の各部位は、どれもこれも丸太のように大きくて、自己主張が激しい。わたしと真逆の顔立ちと言っていいだろう。レーザー手術で視力の向上した眼がとりわけ目を引く。眼鏡がないと、もともと隈に見えるくらい眼窩のくぼんだ両目がさらに強力になる。
「その眼、後遺症とかないの」
「何」
「こういしょう。治ったのに悪いところは残ってる?」
「ああ、そう、こういしょう。セクエラ」
「セクエラって言うの」
「見せたげる」
 メルキオールは自分の顔をぐいと寄せて、手術した眼をよく見せてくれた。あわい紅色にかがやいて見える血管が、目玉のうしろから無数にのびている。濃い灰色の真ん中で、瞳孔が大きくふくらんだり小さくしぼんだりをくり返す。まぶたの裏側に見えるものは主にピンク色の筋肉で、常に小刻みに動いている。ヒッチコックの『白い恐怖』にたくさん出てくる目のように、感覚がおかしくなりそうだ。
 目玉の下のほうに血のかたまりがあることを教えたら、「舐めてみる?」と不気味なことを言われる。
「目には皮膚がないから痛いよ。わたしの舌もナイフの刃も同じくらい痛く感じるんだから」
 そう言いながらも、わたしは指先をメルキオールの眼に近づけている。まぶたを閉じると確信していたのに、わたしの指先はいとも簡単に濡れた粘膜にふれてしまい、火傷をしたときのようにすぐさま手をひっこめる。
「目に入れても痛くないよね」
 笑うメルキオールが憎らしい。等価交換を考慮してメルキオールにも自分の眼をさわらせながら、「わたしはこういうときに創造神っていうものを信じたくなる」と文字どおり眼前の相手に話した。
「何故って、カメラのフィルムだと光をそのまま残してるだけなのに、わたしたちの目は細胞から網膜へ情報が伝達されて、そこから意味のある画面にして脳に送るでしょ、このとき現像されて初めて〝見る〟んだよ。こんなに高機能な器官がゼロから生成されること、時々本当に」
 信じられないから、と言う途中で左目に異物を感じた。メルキオールの言うとおり痛くはなくて、若干の冷たさを感じる。それでも、むき出しの表面をじかに擦られたら早く出ていってほしい。
「神なんて信じてない。でも他人の体のなかを覗いたら、その人と自分の関係って前より変わると思う」
 メルキオールが首を傾げる。
「どんなふうに」
「何ていうか、新しいレベルに」


 ふたりして寝入ったあと、パウ・クラリス通りにあるレストランで、赤ピーマンと茄子、それに玉葱をオーブンで焼いてオリーブ油をかけたエスカリバーダ、それとイカ墨パエージャを時間をかけて食べる。野菜の甘さが絶品だ。レアチーズの蜂蜜かけ(メル・イ・マト)とオレンジジュースの中に木苺を浮かべたデザートも美味しい。

 この二階レストランの壁には本棚、ガラス窓には名著からの引用が印字されている。一階は『ライエ』という同名の書店で、あとから聞いた話では、ここがロシオとメルキオールの友人イグナシオの職場らしく、予約客のわたしたちが来るのを承知していながら、歓迎会は翌日だから、とふたりとも厨房から様子を窺うだけにしていたらしい。セビージャ出身のイグナシは二十七の若さで、イタリアの四ツ星レストランでも働いた経験があるほど腕のいい料理人だ。
 真っ赤なサングリアを飲み、メルキオールとわたしは夕方からボケリア市場のほうまで散歩をした。「前にして」と斜めがけの鞄を度々正面に直される。
「ここがラ・ランブラス。向こうエル・コルテ・イングレスは大きい店だけど、行きたい? 上のレストランから街とかよく見える」
 バルセロナのきれいな面を見せようとしてくれているメルキオールのもてなしが、ひしひしと感じられる。その気持ちはもちろん嬉しいけれど、数日間の観光ではないのだから、碁盤の目から繕いきれないほころびだってどうしても見えてくるし、それは何もバルセロナの街に限ったことじゃない。メトロでもマレーシア系の人が、自作の名刺を置いてまでお金を恵んでもらおうと各席を回っていたし、ホームレスのおじいさんは、彼らから見た独自のバルセロナを観光客に案内して日銭を稼いでいたりする。
「ここが真ん中」
 ライエタナ通りのあいだのサン・ジャウマ広場に入ったところで、メルキオールが長い両腕をひろげる。バルセロナ市庁舎とカタルーニャ州政府庁舎に囲われて、日暮れの街灯をいくつも頭上に従えていると、見知った人物もまるで手品師のように見える。警鐘のごとく鳴りひびく爆音がうるさくて、わたしは思わず耳を押さえた。燃えあがる炎に照らされた通行人の顔が、まるで悪魔のようだと思ったら、事実その人物は赤い悪魔の仮面を着けている。
 十分に距離を置いたところから、メルキオールのとなりで角のある怪獣や緑のドラゴン、道化みたいな悪魔の仮装をじっと見つめる。人々が輪になって広場を囲い、市庁舎のバルコニーから市長が合図をすると、輪の中心に陣取った一匹の悪魔が松明を振りおろした。すさまじい音と共に爆竹が炸裂する。次から次へと爆竹の連鎖は広場を一周し、市庁舎前へと戻ってくると、最終的には山積みにされた爆竹まで火が達し、大音響の中で濃霧のように煙が上がる。
「雷鳴(トロナーダ)、祭が始まる」
 わたしの鼓膜の向こう側に、聞き慣れた声がひびく。音も光もメルキオールもすべての距離が遠い。あたり一面が朝より明るくて雪より白い。これを合図に、見物客が歓声をあげながら一斉に、広場の中央へと雪崩れこんでいった。わたしは煙の中をさまよい、爆竹の雷鳴を聞いてさらに方向感覚を失う。メルキオールは落雷のように急にひかって、音より先に光を残してすぐに消えてしまい、あとから白い闇の中で声だけ届く。
「どこ」
「ここ」
「いない」
「ここ」
「見えない」
「メルキオール」
「行く」
「あそこ、市庁舎の壁は何が書いてあるの」
「待って」
 こんな堂々めぐりを手をつなぐまで何度かくり返した。


 ボケリア市場に着いたころには、完全に日が暮れていた。鉄骨のファサードに覆われた、鯨の体内にいるような市場の入口で少しもたついて、メルキオールのあとを追う。

 不意に菫色のネオンが市場の中心を横切り、目の前にいた見知らぬ人の顔を照らした。わたしは思わず立ち止まる。
 灯りは反対側の出口へ流れてしまい、すぐに真っ暗になり、むき出しに驚いた顔は、ミロが描く目玉と星のような名残りだけを置いて消えた。ペルドン、と声をかけようか迷っているうちに目玉も消え、わたしの視界には星屑だけがチカチカしている。
 前腕と上腕をつなぐ翼みたいな肘が、人混みから伸びてきてわたしを掴み、名前を呼んだ。
「どしたの」
 メルキオールに訊かれ、幽霊を見たと答える。クロワッサンを思わせるほどたっぷりとした髭を蓄えて、ブラック・タイという市場にはやや場違いな格好をした、初老の男性だったと思う。
「この人でしょ」
 メルキオールが壁の一角を指さして吹き出すので、何かと思ったら指の先にはラモン・カバウという人物の記念碑が打ちつけられていた。わたしが見た顔と同じ風貌をしている。
「昔のアグット・ダヴィニョンっていうレストランをしてた人。料理好きで、よくボケリアに来てたけど、お金なくてレストラン出来なくなったから、悲しくて死んじゃった」
 わたしはもうミロの目玉なんか忘れてしまい、下弦の月のように広がって閉じるメルキオールの大きな口を見上げていた。
「あそこに今年の春に開店したアレーナス・デ・バルセロナ、古い闘牛場だ、ここがカタルーニャ広場、向こうがバルセロネタ、海岸と港がある、パエージャの美味しい店も、これがコロンブスの塔––」
 花屋や鳥屋が軒を連ねるランブラス通りから、まっすぐ行くと海に出るという。信号が赤になり、立ち止まる。メルキオールの横顔で際立つ鼻すじが、新大陸を示すコロンブスの腕の直線と重なる。
「ほら、もう見えるでしょ」
 指先の向こうに、黒々とたゆたう海面を見つけた。きわめて日常として提示された地中海の波音は、わたしにとってプルーストの『失われた時を求めて』に出てくる、現実には聞けるはずもないヴァントゥイユの架空のピアノ・ソナタそのものだった。実在しない作曲家だとは露知らず子どものころに探し回った、誰の記憶にもない言葉だからこそ描けた理想の音楽というものが、目の前に形づくられている。日本にいたときは、音あわせの最中のように雑音で聞こえづらかったけれど、そのときからメルキオールの何もかも、わたしにとってはヴァントゥイユの譜面だ。
 青白く明るくなっていくランブラス通り、煌々とひかるガウディの街灯、行き交う人の襟からすり抜けてくる大麻のにおい、舌に山羊のチーズのしつこい後味を残したまま、黒光りする鉄扉の前に戻ってくる。部屋に入ると、メルキオールのために持ってきた日本食の数々を寝台の上に並べていった。抹茶味のキットカットや肉まん、エイヒレ、レトルトカレー、焼き鳥のタレ、白米––どれも手放しで喜んでくれた。メルカドーナで買っておいたカヴァをあけて乾杯したあと、メルキオールの好物である餃子を、ふたりも入ると肩がぶつかりそうになる台所で、本当に肩をあてながらじりじり焼いて平らげる。再会の嬉しさから、鼻先にぶら下がる小さな電球をゆらすほど大いに笑った。


 外では火走り(コレフォック)の真っ最中で、窓からでも明滅する炎が赤々と見える。そこかしこで軽快な爆竹が鳴りひびき、悪魔や怪獣たちが、道行く人へ魔法のように火花を散らしている。

「炎には浄化作用があるから魔を追い払えるんだ」
 メルキオールがスペイン語で言った。
「カタルーニャじゃ、炎は肉を焼くか踊り狂うためにあるけどね。朝にはどっちかの死人が出てる」
 時差ぼけの気だるさと高揚感からか、目を閉じるとまぶたの裏がオレンジ色に熱くなっていく気がする。
 生まれた島の瀬戸内に似ているけれど、別の海岸にわたしは寝転んでいて、ピカソがアヴィニョンで描いたような花咲く乙女たちの遊び声を聞きながら、カトレアの夜への想像をふくらませている。モンジュイックの丘にはジャネ・プチの野菜畑がひろがり、午後の集いで昨日と明日の区別のつかない人々が、ワーグナーに匹敵する戦争をなしとげろと声を上げる。固い岩肌は愛してやまない海辺の景色で、 永遠に続くはずの時間が溶けていく。夢の中のわたしは人の形をしたキャビネットだし、ミルラの匂いがするけれど、ようやく自分があきらめてきた像に形を与えることができるのだ、と自分の夢をながめていた。


 結末の前に、肩にふれられて目を開ける。午前六時、カーテンのない窓から透明な朝が落ちている。

「ごめん、起こした」
 メルキオールが眉を八の字に曲げた。頭のなかではスワンがまだ寝転がっていて、わたしの肩にはごくごく薄い毛布が申し訳程度にかけられようとしていた。
 メルキオールのピソの向かいにある『マルソナ』というパン屋が六時半から開いていると聞き、ふたりで散歩がてらに焼きたてのクロワッサンをひとつずつと、ミルクを買ってわたしのピソに戻る。道路には火走りの名残の燃えかすがさびしく散乱していた。昨夜の食器を洗っているあいだ、隣のコンロから新品のマキネッタでカタカタとコーヒーを沸かす音が聞こえてくる。準備を整えたら席につき、コーヒーを淹れてミルクをたっぷり注ぐ。日本と同じ手順をくり返していることが嬉しい。
 メルキオールはクロワッサンにバターをあつあつと塗り、さらにマルメロのジャムを盛りあげて、そのまま口へ運ぶのかと思いきや、泡立てたカフェオレにひたしてから食べた。向かいの席に座るわたしは、思わず目を見張った。かなりの甘党だとは知っていたけれど、ここまでの食べ方なんて見たことがない。
「そんなに甘いと朝からお菓子を食べてるみたいだわ」
 何層にも重ねられた生地にバターが詰まった焼きたてのクロワッサンとは、メルキオールにとって至高の食物であるらしく、これを編み出した人に跪いて礼を言いたいくらいだと言う。
「それとも、ぼくに権限をもらえるなら間違いなく、あの三日月をカタルーニャ独立旗の国章に入れるんだ」
 メルキオールの野望を聞きながら、早朝の涼しさのなかで熱いカフェオレを飲む。こうした一杯が、しずかな幸福感をもたらす神聖な飲み物のように思えるのは、ひとえにプルーストのなせる技だとばかり思っていた。油を水へ落としたように一面に広がる、この喜びは一体どこからくるのだろう。『失われた時を求めて』の中に、食べなれた美味しいクロワッサンが食べられなくなったせいで偏頭痛を起こす夫人が出てくることを伝えると、メルキオールは納得して頷く。
「日本にいたとき、ぼくは夫人みたいだった」
 メルキオールの食べ方をまねながら、わたしはこの喜びを忘れずにいようと思う。その喜びは、きっとすぐに消えてなくなる。ミロの目玉を遠ざけた翼の力強さや、日本語をしゃべった下弦の月や、地中海から聞こえたヴァントゥイユのソナタや、偏頭痛の青年が夢見た焦がしバターのクロワッサンみたいに。