メルキオールとわたし Monserrat メルキオールとわたし

 


 毎朝、その日に食べる分のパンを『マルソナ』まで買いに行っている。その日も小銭を握りしめて目当てのクロワッサンを買いに入ったら、今日から二センティモ値上がりしたよ、と働き者の店主に言われた。わたしはクロワッサンのかわりに二センティモ安いマドレーヌを買い、以来もう焦がしバターのクロワッサンは食べていない。
 真水もわりと高いから、一リットル六〇センティモの量り売りのワインを近所にあるバルで買い、その場で五リットル入りのボトルに入れて、担いで帰るようにしている。スペインでいう四階は、中二階を入れて六階の高さに相当するから、階段の上り下りも結構な運動だと思う。
 バルセロナに来て一ヶ月が経ち、収入がない心許なさからメルキオールのように週末は仕事をしたいと思っていた矢先、大学内の友人が帰りに日本語図書館に連れて行ってくれた。看板も何もない古い建物の一室に入ると、古本屋のような空間があり、何人か書架から抜いた本をしずかに読んでいる。掲示板に鱗のように重なった日本人宛ての手書きの張り紙や広告を見てみると、「書道教室」や「茶道教室」から「炊飯器と圧力鍋ゆずります」まで様々あるものの、屈指の失業率を誇るこの国で外国人への仕事の求人はめったにない。結局、イグナシの口利きで『ライエ』の書店側なら、前任者の辞める二ヶ月後から週に二〇時間まで働かせてもらえるようになった。友人のコネに頼るのは抵抗があるけれど、月給四〇〇ユーロなら家賃が浮く。わたしは大分恵まれているほうだ。
 ともあれ、メルキオールがレスコルツ地区に家を借りたというから、何か菓子でも作ったあと手伝いに向かうべくピソに戻った。内戦のころから放置されている月九〇〇ユーロのボロ屋らしく、わたしも後日そこに移るから、家賃は各々三分の一になる。学生身分ではゴミを売られても仕方ないと、メルキオールは下見のときに嘆いていたけれど、合計二〇分を超えると数時間は水しか出なくなるシャワーを除けば、十分に良心的な物件だと思う。
 焼き菓子を準備したら、ピソの窓から空を見上げる。身を乗り出しても中庭の地面は薄暗くてよく見えない。わたしの真上に見えるものは三角形の小さい青色だけで、よし青空だ、と勇んで飛び出してみたら意外と雲が多くてがっかりさせられる。わたしの小さな世界から得ることができる情報量なんて、ひどく少ない。
 八月は無性に暑い。メトロのプラサ・ダ・サンツ駅の一番線を降りたら、やたらと目立つ赤い電飾の菓子屋をすぐ右に折れて、はるか頭上に干された洗濯物よろしく揚々とはためく幾枚ものカタルーニャ独立旗(エステラダ)を見上げながら、路地の日陰に沿って歩いていく。
 借家の玄関口にはロシオと、新しい同居人になるシャイメがすでに到着していて、それと思しき家具をシャイメの車からひとつずつ運びあげているところだった。
 メルキオールの地元の幼なじみだというシャイメは、メルキオールと同じバルセロナ自治大学で心理学を専攻している。好んで旧市街に住む芸術家のような格好をしたスラッカーだ。常にふらふらして呂律が回っていない。
 菓子入りのポリ袋を振ってやると、空箱を小脇に階段を駆けおりてきたメルキオールが、よく来たとばかりに分厚い舌を出して笑った。
「メルキオール、これ見ろよ」
荷運びの途中、埃をかぶった郵便ポストのそばに円形の割れ目があることに気づいたロシオが、これは内戦時の銃弾痕に違いないと歴史好きを発揮して検証をはじめる横で、シャイメが車の鍵をしっかり確認しておきながら全開の窓に無頓着なことに、わたしは唖然とする。
「先月ちょっと割っちゃって今ガラスないんだ」
 なるほど、メルキオールが時々どこから大麻を仕入れてくるのか合点のいく幼なじみじゃないか。
 メルキオールのほうは気を遣ってくれているのか、わたしにマキネッタやらペーパーバックの小説やら細々としたものばかりを渡してきて、もっと重いものも持てるのに、と思いながら色あせたタイルの折り返し階段を上り下りした。ここも四階だ!
 夜の零時すぎにようやく作業がひと段落し、ちぐはぐな出来合いの家具に囲まれた居間で、四人そろって夜食にする。メルキオールがシャンパネリアで調達してきた生牡蠣とコドルニウ社カヴァのピノ・ノワールを並べた。そのとなりに、カスタードクリームを油で揚げて作る、ロシオ特製のレチェ・フリータが山盛りに出される。冷蔵庫ですっかり冷やしたカスタードクリームを四角に切り、薄力粉をまぶしてオリーブ油で揚げたあと、シナモンシュガーをふりかけるレチェ・フリータは冷めても美味しい。ロシオはこれに目がなく、いつもメルキオールのところに自家製カスタードを作り置きしている。
「フィ・シッハトコム!」
 アラビア語で乾杯をする。メルキオールは父親がクウェート出身のカタルーニャ人で、本当なら学生の内からもう少し裕福な暮らしができるけれど、もっぱら本と音楽とロシオのために金を使いこんでいる。わたしたちに「好事家(ディレタンテ)め」と冷やかされるたび、メルキオールはふざけてアラビア語の下品な言葉を教えてくれた。
 ロシオとシャイメが煙草を買いに表へ出ていくと、煙草を吸わないメルキオールとわたしが居間に残された。メルキオールが最後の生牡蠣を飲みこみ、転んだ貴婦人のスカートのような器に黒々とした殻をもどす。「もう少し何か食べたい」と財布を探しはじめたから、わたしは手土産の菓子をオーブンに入れて温め直すことにした。
「クーラン作った?」
 メルキオールが目を見はる。
「そう、イグナシのレシピ」
 アルミの型から生えた茸のような焼き菓子を並べてオーブンを閉じ、頑固なまでにかたいライターでやっとこさ火を点ける。料理人のイグナシがいればもっと上手くやれるだろうけど、反肉体労働主義の彼に引っ越し作業なんかもってのほかだった。イグナシは秤のように正確で公平、それに丈夫なのだ。誰にも任せず、自らの格率で物事を決定する。メルキオール曰く、「イグナシは食べ物に欲情して、生物は単に反応の集まり、神経の集合体くらいにしか思ってない」らしい。
 一〇分きっかり経ったころ、中心から美しくひびの入ったクーランの皿をメルキオールの前に置く。モリッツ社の瓶ビールと、不揃いの食器と大小のスプーンを四人分用意するあいだに、上に乗せたバニラはもう溶けはじめてしまう。
「溶けるまえに食べて」
 言われるまでもなくメルキオールが割れ目をスプーンでなぞると、クーランはくずれて中から漆のようなチョコレートがあふれ出てくる。ひとくち大に切り分けた生地に温かいチョコレートをからめ、スプーンに残されたわずかな隙間でアイスクリームをすくって、肉厚の舌が待ちわびる大きな口へと運ぶ。
 メルキオールはめったに人をほめない。「やさしいね、きみはやさしい」と誰かに言うことはあるけれど、素面で甘いことはてんで言わない。そんなメルキオールがクーランを一気に平らげ、アルミのふちに残った生地を長い舌で丹念になめとる。何度か失敗したことは言わない。わたしはアラジンを適当にまねて、目の前の賢者にお辞儀した。
「来月から学校のインターンに行こうと思う。仕事しなきゃ」
 戸棚から出してきたシャイメの大麻を大きな手で器用に砕きながら、メルキオールは物憂げに頭をかしげて言う。わたしは、メルキオールが当たり前のように寄越した大麻用のパイプを右手にもったまま、左手でクーランをすくって食べる––今の動作は不自然だったかも、と思いながら。菫色の小さなパイプは、のどが弱いわたしのためにメルキオールが用意してくれたものだ。
 メルキオールとロシオが結婚について話し合っていることは、彼らの友人なら誰もが知っている。ロシオの父親はアルゼンチンから不法入国しているため、親子ともどもスペインの市民権を持っていない。スペイン国内では不法滞在自体は犯罪じゃなくて、あくまでも行政上の違反行為としかみなされないから、その気があれば国外追放令を手に収容施設を出て、そのまま国内にとどまるか、もしくは他の欧州諸国へ行くことも可能だという。モロッコの飛び地にあるセウタとメリージャは、よく移民問題で耳にするところだ。六年前に不法移民の合法化政策(アムネスティ)で長期居住許可(ペルマネンテ)を獲得する機会が一度あったのに、ロシオの話だと父親がヘマを踏んだせいで駄目になったらしい。
 メルキオールもロシオもいい友人だけど、ふたりの結婚はどうにも本気に見えなかった。メルキオールがいつもペルマネンテのことばかり言うからかもしれない。そんなに急がなくてもいいのに、とわたしは思う。
「彼女は今まで一度もスペインの外に出たことがないんだ、ほら、出たら戻って来られないでしょ。だからさ、どうしてもペルマネンテを手に入れたい。アルゼンチンに彼女のおばあさんがいるから会いに行きたいんだ、結婚したら故郷のウシュアイアへ訪ねにいこうっていつも話してる。なんなら向こうに住んだっていい。けどさ、そういう簡単な問題じゃなくて色んなことがあってね––」
 クーランはあっという間になくなった。本当に好きなの、と割りこんで聞くこともできず、溶けきったアイスクリームとチョコレートのたまりをスプーンでかき回してみるけれど、うず巻きの模様ができるまえに白と黒がきたなく混ざってしまう。
「去年のクリスマス(ナダル)、見せたいものがあるって言うロシオの声を聞いて部屋まで行ったら、彼女はドレスを着てたんだ––青いドレス、背中がぐっと開いてる。どうって訊かれて、ぼくは正直三〇秒くらい何も言えなかった。この人はぼくの恋人で、ぼくらはいつか結婚するつもりで、それで、これがぼくらの生活なんだって」
 ビールをひとくち飲んで、急にとても苛々しだして、わたしは実はメルキオールが嬉々として結婚話をしはじめたことに多少怒っていたことを思い出した。こういう話を聞くたび、数少ない良き友人ふたりが遠くへ行ってしまうかもしれない寂しさや、わたし自身が九ヶ月後にはバルセロナを離れざるをえないという焦り、その手の不安が手に負えなくなり、無表情になってしまう。
「きみの興味ない話してるかな。ところで、お菓子とビールって合うの」
 メルキオールが訊いてくる。
「あんまり合わないけど、舌に甘さが残っているときだけビールの苦さと炭酸に反応して、口の中に氷ができあがるみたい」
 キンとした感覚がときどきあり、その反応が起こると生きていて良かったと思える。
「それに組み合わせが良くなきゃ、モームだってあんな名前の小説を書かないわ」
 わたしがそう答えると、メルキオールが息を吐くように笑う。朗らかさと無縁の乾いた笑い方は、わたしを苛つかせるのと同じくらい、絶対的な安心をくれる。
「ね、『お菓子と麦酒』はシェイクスピアからの引用で、本当の味の組み合わせとは関係ないんじゃない。皮肉が効いていて面白い小説だよね、ぼくは彼の作品中いっとう好き」
 メルキオールは言い、わたしが未読であることを伝えるやいなや「ごめんよ、マイガール」と羽織った毛布を広げ、ことさら優雅にお辞儀した。その笑みを見ながらビールを飲むと舌の上で氷がつくられて、心持ち焦り、「この好事家め」と声に出す。
「好きでしょ」
 メルキオールがいかにも嬉しそうに、右の眉毛をへの字に上げる。
「うん、好きよ」
 好きなのよ。
 扉の音がして、ロシオとシャイメが煙草を咥えて戻ってくる。
「今夜は宴だ」
 メルキオールがクーランと紙巻大麻を、東方の三賢者のように両手でうやうやしく掲げてみせた。シャイメは戸棚からタンブラーをとり出し、何やら組み立てはじめる。それが折り畳み式のボングに変身するのを見て全員が呆れても、シャイメは自分のラップトップを開いて選曲しつつ早速ボングで一服している、まったく似合わないウィーザーなんか流して。
 これってさ、と机を爪でこつこつ叩きながらロシオが言う。
「哲学的になったり人生の真理に気づいたりした瞬間にはアルバムごとへし折りたくなるんだけど、ちょっとばかし怒涛のような感情に流されて愛だの恋だのにどっぷり浸りたいなら、もう最高だよな」
 菫色のパイプを通し、わたしの全身は音だけをやけに鮮明に拾う器官になり、やぶれたソファの上で大理石の像のように目を瞑っているメルキオールをぼんやり映した。心がひとつ鼓動を打つあいだに遠くへ行きたい。背骨のうごめく音とまぶたのひらく音がする。一五分で消える夢ではなく、起きているときにも持続する夢を見ていたい。カタルーニャの祝日までもうすぐ、午前三時の宴会だ。
 レスコルツのピソに引っ越してからというもの、片づけても片づけても荒らされて、余分な食材とゴミに埋もれる悪魔の館に辟易としている。何しろ、冷蔵庫は開けると腐りかけのトマトが転がり出てくるし、どこにもパン本体が見当たらないのにパン屑だけがそこかしこに散らばり、時々ナイチンゲールがついばみにくる始末だし、流し台に至っては『ライエ』から地道に拝借してきた食器や鍋が汚れたまま、カスティの最高記録を更新しない日はない。シーシュポスでさえ、未来永劫に岩をころがしていたほうがましと思うはずだ。〝モンテクリスト島〟として学生から重宝されているゴミ捨て場から拾ってきた棚とテーブルも、意思があるなら帰りたいと願うだろう。
「『シーシュポスの神話』を書いたカミュは正しい」
 九月のある日、わたしは台所にいたメルキオールの背中に日本語で訴えた。
「不条理だからって世界を否定したとしても、世界は依然として不条理なんだし。報われない努力なんてざらにある世の中で、すべてよしって心から思えたなら、そのとき自分に降りかかかる不条理は幸福へ変容するんだわ」
 その境地に今なら達せられる気がする、と言ったところで、メルキオールに半ば無理やり外へと連れ出される。わたしをぐいぐい押し出す肩越しに、寝起きのシャイメが欠伸をしながらバスローブから出た腹をかく姿が見えた。
 晴れた休日には、のんびり自転車で走ることが多い。同じバルセロナでも十の地域にそれぞれ個性があり、そこ未来の自分が生活しているところを想像しながら走りつづける。メルキオールとわたしは自転車を並べて走り、高台にある住宅地のロータリー交差点で立ち止まると、建物の隙間にくっきりと見える青空と地中海の隔たりを見下ろした。
 サンツ駅から小一時間ほど登山電車に揺られ、カタルーニャの岩山モンセラートまで登る。トーマス・マンがこの山を取材して『魔の山』を書いたというだけに、平原に突き出したとても特異な形態の山は、中世以来ふしぎな伝説を生み出して自然崇拝信仰にまで発展してきた。今では特殊な磁場エネルギーが発生しているとかで、UFOの研究者の集結地としても知られている。〝ノコギリ山〟というより押し寄せる雲のような奇岩の群れのようだ。
 わたしたちは中腹にあるベネディクト会の修道院に入ると、ちょうど始まった聖歌隊のカタルニア民謡を聞き、清々しい気分のままアトゥリオの広場から空を見上げた。突き抜けて青い。
「ぼくはイギリスじゃ生きていけない」
 となりでメルキオールが言う。天候と食事が人格を形成するという説は、あながち間違っていないと思う。イギリスの天気の悪さは、農作物の見目はおろか料理の質にまで影響しているし、ゆとりと寛容のかわりにじっとりした劇的アイロニーが育まれることも頷ける。対して、地中海の気候は両極端だ。雨はめったに降らないけれど、降るときはダムのように降るし、太陽は照るとなったら大変な日射し。イギリスと同様、ここの気候も少なからずカタルーニャの人々の気質に影響していると思う。
 真夏の日差しが強くても風はとても心地いいから、昼食は屋外のベンチでとることにした。メルキオールが自分のバックパックから、アルミホイルに巻いたバゲットのサンドイッチ(ボカディージョ)を出してくる。まさか手作りを用意しているとは思わず呆けていたら、チーズと白いフエを千切って交互に並べたバゲットを手渡される。
「食べて」
 トマトとチョリソーが入ったほうを自分で頬張るメルキオールを見て、手元のバゲットからこぼれ落ちそうなチーズをかじる––メルキオールはチーズがきらいなのに。
 腹ごなしに歩いてから登山列車で下山している途中、ロシオからの着信があった。メルキオールとロシオは長いことカタルーニャ語で真剣に話しこんでいたから、わたしは車窓に映る眉間にしわが寄ったメルキオールの顔とモンセラート麓の小さな村々を、心持ち不安に思いながらながめていた。潅木がまばらに茂った山を見渡し、それが右側へいくほど住宅地になり、さらに遠くで水平線がひらける。
 そこまで見据えたところで、ようやく自分が今日の授業をすっぽかしたことに気づく。平日なんだから当然メルキオールもまた大学に顔を出すべきだろうし、インターン前の大事な試験も近いわけで、仕事中のロシオがこうして電話を寄越した理由にはその件が確実に含まれているのだろう。何しろ、シャイメは気はいいけれど口が羽根より軽い、というより自分が何を言っているのか把握していない。
「ごめん」
「なにが」
「がっこう」
「いいよ」
 知っているカタルーニャ語の単語を並べてみたら、メルキオールに笑顔で頭をなでられた。
「学ぶために勉強してる、試験のためじゃない」
 気晴らしに連れてきてくれたことを感謝する。「今度からシャイメと掃除するよ」と付け足したメルキオールに笑う。
 自転車を漕いで帰宅したとたん、わたしたちはどうも泥のように眠っていたらしい。次に目が覚めたとき、起きぬけのままコンロに寄りかかりコーヒーを沸かそうとしたところで、窓の外の暗さを見てはじめて夜だと気づいた。メルキオールの部屋の扉を叩けば、寝起きの顔が申し合わせたように現れて、ふたりで徒歩一五分の距離にある『ライエ』まで行く。
 最奥のテーブル席に着くと、顔なじみの給仕のユンロンがこちらへ来るたびに言葉を交わしていく。血の入った黒い腸詰めのモルシージャをたくさん食べて、甘めのカヴァをたくさん飲んで、わたしたちがようよう帰り支度をはじめたころ、髭に覆われた笑顔のイグナシがレモン入りヨーグルトケーキを箱に詰めて持たせてくれた。
「ええもんやるわ、召し上がれ」
 バターの代わりにオリーブ油で仕上げたケーキに、イグナシのレシピは小粒の葡萄から出来た甘口ワインをしみこませてある。かなり長身の彼が、まるい背を屈めて小綺麗な料理を作るさまは、ガリバーがリリパット国の小人と戯れているようで面白い。わたしたちは少し酔っぱらっていて、差し出されたきらきらしたシナモンと砂糖をまぶした食べ物に文字どおり夢中で、ありがとうすらままならない。
 ところで、イグナシとは一度なんとなく付き合うことになるけれど、結局うまくいかなくて四ヶ月後には友人に戻った。ある日「おれの彼女やで」と彼の知り合いに紹介されたとき、わたしたち付き合っていたのか、とようやく認識したくらいだから仕方ないのかもしれない。
 ロシオの仕事上がりを待って一緒にピソに戻ると、シャイメも呼んでイグナシ特製のヨーグルトケーキを食べた。スポンジ生地にフォークを刺したら、じんわりと甘いワインがしみ出し、それが酸味のあるレモンと甘すぎないヨーグルトとよく合う。ロシオはケーキの残りをフォークでいじっていたけれど、わたしの様子を見たら自分の皿をこちらに寄越してしまい、自分は煙草に火を点けた。
「学べる環境にいられるって幸運なことだぜ、馬鹿なまねすんじゃねえよ」
 ロシオの言うことは至極もっともだ。そんなロシオは義務教育までマドリードで公立校に通い、英語とカタルーニャ語はバルセロナに移ってから自力で覚えている。俗ラテン語に属するカタルーニャ語は、上ラテン語のスペイン語、つまりカスティージャ語と成り立ちが違う。わたしにとってはどちらも等しく難しい外国語で、ましてや互いにどれくらい近いか離れているのかまるで見当もつかないけれど、カタルーニャ人はフランス人やイタリア人と互いに母国語を話したとしても、大筋の会話が成り立ってしまうから驚く。ポルトガル語に対しても強い親和性をもっているふうなのに、系統の異なるカスティージャ語に対しては、スペインへの反感を差し引いても相当に違和感があるらしい。
「選択授業でカタルーニャ語をとりたい」
 わたしが言うと「まずはスペイン語をして」とメルキオールに諭される。
「カスティージャ語の汎用性を考えたら当然でしょ。カタルーニャ、ガリシア、バスクの人間は大方カスティージャ語を話せるけど、カタルーニャ語は本当に限られた地方でしか使えない」
 それでも、母国でカタランとしてカタルーニャ語を堂々と使えることは、自分たちにとって誇りだとメルキオールは言う。
 ほんの二九年前までフランコ独裁体制がまかり通っていたスペインは、日本が朝鮮半島にしたようにカタルーニャ語の使用を禁じた上、個人の名前も奪った。街中で話すことはもちろんのこと、歌うことすら厳しい刑罰の対象となり、どの店の看板からも八百屋の品書きからも、カタルーニャ語は完全に消し去られてしまったからだ。
「フランコ政権の死後、ぼくらにとって最も重大な変化といったら、民族言語の復権なんだよ。言語は魂に等しいでしょ。それは人間の思考と感性の中心軸にあるし、世界中で生きる人間としての誇りの中心でもある」
 もちろん、カタランもスペイン語を第二公用語として自然に使うし、わたしたち外国人に対しては大抵スペイン語で話しかけてくれる。その上で、母国語としてのカタルーニャ語教育は、彼らにとって全存在をかけた事業なのかもしれない。
 何故って、思考や概念を組み立てるときに中心軸となる言語を変えられるということは、自分の根本を失うことに等しい。アイヌ民族が日本の学校教育によって日本人になり、アメリカの先住民がアメリカ人になったように、どんな民族もたった数世代の教育によって民族性を奪われてしまう。シャイメやロシオもこの問題については同意見で、民族言語の政治的な力による保護は当然のことだと話していた。
 それから数時間ほど、メルキオールとわたしは課題をこなし、ロシオはバルザックの『谷間の百合』の読書にふけり、シャイメは趣味のハッキングか何かをしていて、もう寝ようかというころ、メルキオールが日本語の時間に対する観念について言い出した。
「過去が前で未来が後にあるんだよ」
 たとえば古い家を改築したなら、古い家が前のもので改築した家が後のものになる。過去である原因が〝前方〟にあり、未来である結果が〝後方〟にあるという感覚を自然に表現するなら、前向きに生きることはつまり、過去に学ぶということに他ならない。メルキオールの説明に、シャイメが画面に目を釘づけたまま、面白いね、と頷く。
「要するに、あー、うしろを見ようと振り返る意志を待たなきゃ、未来は見えないってことか、だろ?」
 呂律が回っていないけれど、シャイメは五感をいくつか同時に使っても、それぞれの集中力が凄まじい。
「日本はへんてこな国だ」とメルキオールが言う。
「スペインこそへんてこだ」とわたしも言い返す。そうしたら、決まってメルキオールとロシオは口をそろえて訂正するのだ。
「スペインじゃなくてカタルーニャ」––ほらね。
「見て、〝また明日(アスタ・マニャーナ)〟は直訳すると〝明日まで〟になる。なんだか〝明日まで生きていたら、また会おう〟って意味みたい、へんてこでしょ」
 わたしは初期の学習書を彼らに見せる。
「スペインって、実は〝死の国〟だからさ! ここじゃ死の影がいつも憑きまとってる。だから反対に生も強烈なわけ」
 シャイメが言うとなんだか洒落にならないけれど、その言葉だけは妙に頭のなかに残った。
 半分寝ながら、わたしは思う。未来にある原因が過去にある結果を創り出すなんて、確かにへんてこだ。化石になりたいとかいう未来を願うなら不毛だけど、考えるばかりで現実をどうすることもできないことは、もしかすると今このまま化石になることかもしれない。