メルキオールとわたし Reis Mags 東方の三賢者

 


「メルキオールがほしがるものなら何でもあげちまうんだ、あの人は。にっこりしながら、なんでも。それがジセラや姉さんたちには、もう意外っていうか。あの人は本来そういう人じゃねえんだよ。
 フランコが死ぬ四年前から一六年間、歩兵隊の中佐にまでのぼりつめてさ。ジセラとバルセロナで出会ってから、カタルーニャにどっぷり傾斜するようになったらしい、言語も密かに勉強し出して。ガローテを使う最後の処刑に居合わせたって言うが、そのことを訊いたのは失敗だったな。あの人の顔がすっかり灰色になっちまってさ、石の色だよ。
 陸軍を引退したあとに、末っ子のメルキオールが産まれて––まわりが洗礼名の〝イサアク〟じゃなくて真ん中の〝メルキオール〟で呼んでるのも、あの人がふざけて言うのをまねした結果なんだと。メルキオールって呼ぶと、赤ん坊のあいつが決まって笑うから」
 ナダル当日の朝、メルキオールはファイサルのところへロシオとわたしを連れて行ってくれた。父親のファイサルはジセラの家カサ・オンブラスの目と鼻の先に住んでいて、どれくらい近いかというと、ひとつ目の角を曲がったすぐにあるジセラの車庫よりも近い。わたしは行きしなにロシオからファイサルの話を聞き、すこし緊張していた。
 わたしたちが玄関前に立つと叩くより先に扉が開き、メルキオールより濃いカフェオレ色の顔が出てきた。ひと目見て軍人のような威圧感はないものの、ぬうっと覆いかぶさるように立っているし、ゆったりしたコーデュロイを着て、しかもすごく背が高い。わたしは一瞬ひるみ、彼の笑顔の口もとが反り返るほどきれいな逆三角形で、メルキオールそっくりなことに気づいて安堵した。黄色い前歯が一本欠けている。
「ようこそ、お嬢さん方」
 入って入って、とファイサルは扉をさらに引く。豪快な笑い方で、メルキオールの肩を抱くとその背中を何度も叩く。息子に煙たがられる父親の光景が、センドラに邪険にされるメルキオールの構図と同じで笑ってしまう。軍人というよりは先生のような風貌だ。実際、バルセロナに移ってからは、工科大学で数学を教えているそうだ。
 ファイサルの家は木造のカサ・オンブラスと違って混凝土の造りらしく、水縹色に塗られたタイル壁のせいもあり、なんとなく肌寒い感じがした。冷蔵庫の横には「賛成しよう!」という赤と黄色の二色刷りで描かれた、独立投票の喚起ポスターが貼ってある。ジセラはカタルーニャの自治権を拡大できるなら、分離独立までする必要はないと話していた。だからメルキオールの民主主義と独立志向は、どちらかというとファイサルの影響じゃないかと思う。そういえば、表にもエステラダが高々と揚げられていた。
 わたしたちを居間の椅子に座らせると、ファイサルは奥から二本のペットボトルと生ハム味のチップスを抱えてきた。うしろから老齢の女性が寝巻きのまま起きてきて、ファイサルの母親のファティマ夫人だと紹介される。危なっかしい吊り橋を渡るようにゆっくりとした動作にも関わらず、ファティマ夫人はあっという間に、茹でたジビエを柑橘類の果汁漬け(エスカベーチェ)にして出してくれた。ペルディスという名の野鳥で、美しい低空飛行をするから猟師のお気に入りらしい。二本のペットボトルには、ニワトコで作った自家製の新しいワインと古いワインがそれぞれ入っていて、藪イチゴを混ぜてある新しいほうはポートワインのような甘さがある。
 食後のファティマ夫人は、やおら立ち上がると殻のある生物のように一歩ずつ動き、ロシオとわたしに二種類の瓶詰めを用意してくれた。トマトと玉葱を白ワインで煮詰めたソフレジットと、松の実やニンニクに加えて数種類の香草を混ぜてあるピカーダ、どちらもカタルーニャの調味料だという。
 わたしは『マルソナ』で一〇〇グラム単位で買ったカルキニョーリスに、チョコレートを挟んで金箔の飾りをつけた菓子をファイサルたちに渡した。『マルソナ』のカルキニョーリスは堅焼きせんべいよりしっかりした歯ごたえがあり、生地の粗さもアニスの効き具合も絶妙で美味しい。簡単だけれど、手土産になればいいとジセラにもあげたものだ。ファイサルは顔をくしゃくしゃにして喜んでくれて、「日本で息子に良くしてくれてありがとう」とわたしの両手をとり、やたらと振り幅の大きい握手をした。
「メルキオールは、ほら、こんなに格好よくて賢いだろう。英語も日本語も上手だし、本当に心やさしい子なんだ」
 ロシオが声をあげて笑う。我が子贔屓には違いないけれど、実際そのとおりだから面白い。ファイサルが息子のことで冗談ばかり言うものだから、メルキオールはひたすら照れて跳ねっ返りになっている。
 ところで、ファイサルは午後からニースに向かうと言う。ナダルは高速道路が空くし、ワインやチーズ、南フランスの缶詰めの食材に目がないので、毎年まとめ買いと称してドライブに出掛けるそうだ。
「ニースの市場には、小さな壺に入ったバニラ味のヨーグルトが並んでいてね。スペインじゃ手に入らなくて、メルキオールたちはそのヨーグルトが大好きだから––」
 息子がトイレに立っているとき、ファイサルはヨーグルトの壺の大きさを人差し指と親指で表しながら、「たくさん買いこむのさ」と嬉しそうに話してくれた。人差し指と親指の隙間から見えたファイサルの歯列は、やっぱり前歯が一本欠けていて、そこから空気の抜ける音がする。暗い穴の向こうに、毎年ヨーグルトの壺をニースの市場でひとり探し求める彼のうしろ姿が見える––着古したコーデュロイに背中を丸めてパイプ煙草をくわえる、ジェームズ・エルロイの犯罪小説でも読んでいそうな格好をして。バニラ味のヨーグルトよりも格段に甘いものを食べたように、なんだか胸焼けがする。

 カサ・オンブラスの女主人ジセラは、人生の大半を家族の食事を作ることに費やしてきたような人物だ。反対にファイサルと息子のメルキオールときたら、行ったきり帰ってこない鉄砲玉で、解き放たれた矢のごとく自力では戻ってこられない、とジセラは嘆く。ナダル当日の朝から六キロもある巨大な鶏に詰め物をするだけでも大仕事だろうに、ファイサルはニースの市場で、メルキオールは自室にふらりと入ったまま、おそらく倉庫から発掘したポリネシアの歴史本を読んでいる。
 ジセラ特製カタルーニャ風の詰め物は、プルーンやレーズン、杏などのドライフルーツと松の実、豚の血の入った黒いソーセージ(ブティファラ)をまとめて炒めたものだ。白いんげん豆が付けあわせ、ニンニクとオリーブ油のアリオリソースが欠かせない。これだけ食べても絶対に美味しいけれど、さらに鶏の中に詰めこんでオーブンで丸焼きにする。ここまでの作業だけでも、ロシオとわたしには結構な重労働だった。
 ジセラは次の作業に移りながら、スペイン料理についても教えてくれた。世界中でスペイン料理ほど多様性のある料理はない、と断言している。
「どれも三つの油脂、オリーブ油、ラード、バターが使われてるとはいってもね、マジョルカは地中海料理とオリエント料理の間にあるような感じだし、ガリシアは脂ぎった大西洋的な料理をする、カスティージャのローストやアンダルシアみたいにイスラエルの影響を受けたお菓子まで、ちょっとずつ違うのよ。トリノのレストランにコシードやパエージャ、ガスパチョ、それにタラ料理のメニューが載ってるのも、この国の料理がそれだけ多様で豊かだってことの証明書みたいなもんさ」
 肉も詰め物も格別に美味しい鶏を焼く間に、ナダルのもうひとつの定番料理のスープ(エスクデージャ)を準備する。主に肉団子(ピロータ)と貝殻の形をしたパスタ(ガレッ)のスープで、トーストをつなぎに入れる。一皿目はエスクデージャの部分、福音史家を表す四種類の肉とガレッをいただき、そのあとカルンデオージャの部分、ピロータと秘跡を表す七種類の野菜などの具を食べるそうだ。ひよこ豆、白インゲン、セモリナ粉、食材が盛りだくさん放りこまれた出汁は間違いなく美味しい。スープは五時間も煮込むから、手間ひまは鶏の丸焼きといい勝負になる。
 ロシオとわたしは、オーブンの中で日光浴でもしているように優雅なチキンを見守りながら、ジセラの話を聞く。七面鳥や子羊は普段から贅沢品だけど、この国の人々はナダルの時期に、年収の三割を浪費することもあるらしい。何故かというと、普段一キロ五ユーロくらいの生ハムを食べている人々も、せっかく家族が集まるからと、ナダルには一キロ六〇ユーロのきらきら脂が光り輝くイベリコ豚をはりきって選んでしまうからだ。一枚二〇ユーロのクリスマス宝くじも、経済危機で売上を伸ばしている。
「最高級生ハムは融点が三七度だから、口の中で文字どおりとろけるんだ」
 魅力的なリップ音付きウィンクを、ロシオがこちらに投げかける。
「初めて食べたときは自分の舌が信じらんねえ。メルキオールを振り返るとしたり顔のやつがいて、悔しくなるくらい美味かったぜ」
 きらきら脂のイベリコ豚に思いを馳せると、俄然お腹が空いてきた。

 午後を回ってからメルキオールの三人の姉、コンセプシオン、アスシオン、そしてドローレスと彼女たちの旦那や恋人が到着し、ジセラの兄弟もやって来ると、カサ・マルグラットは彼らの談笑で一段と賑やかさを増した。オンブラス一家は誰も彼もがお喋りで、全員がよくわからないまま家中を動き回っている。見たところ、用もなく全員が台所を交互に覗いたり、暖炉を囲んで身振り手振り話したり、今はまだ一番年下のメルキオールをなで回したり、夏に結婚して妊娠三ヶ月のコンセプシオンのまるい腹をさすったり、それをくり返している。
 アスシオンとドローレスが率先して用意した食卓には、いかにも西洋的なテーブルクロスのかわりに中国磁器が並んだ。真ん中に四本足の龍が小さな火の玉を吐いている皿を見て、「これは中国のだ」とメルキオールが天を仰ぐけれど、龍とふちを飾る緑色はあまりにきれいだし、日本人が来るからとコンセプシオンたちがわざわざ運んできてくれた磁器に、わたしは胸を打たれた。貝殻の内側できらめく虹色の真珠層を使った贅沢なマット、皿に合わせた緑色のナプキン、ひとり四種類あるグラス、高級骨董店で目にするような品々が普通に置かれている。
 人ひとりが寝転べるくらい大きな円卓を囲み、団欒も料理の一品のように食べる。喋るときにはナイフとフォークの手を一旦置き、手振りをふんだんに交え、時には手にしたグラスの中身がこぼれるくらい大笑い、時にはカトラリーを放り投げて口論になるまで白熱する。メルキオールの大事な人は家族にとっても大事な人、あなたも家族の一員だ、いつでもおいで、と定期的にわたしに微笑んでくれる。
 長い昼食のあとは、アラブ文化の遺産の菓子たちが色とりどりに盛り合わせられた。マルコナ種のアーモンドを練って焼いた高級なマジパン、アーモンドの他に砂糖と蜂蜜を混ぜあわせて固めたトゥロン、小麦粉とラードと砂糖で仕上げた素朴なポルボロンをすこしずつ食べる。菓子をつまんでいると、ほろほろとくずれた断片がロシオの黒いセーターの上で新しい星座をつくった。射手座に似ている金色の星群に見とれていたら、メルキオールのほっそり長い指たちが無情にそれらを払う。流星の軌道で床におちた断片は、もはや塵にしか見えなかった。
 メルキオールたちが席を立つから何かと思えば、これから毎年恒例の演奏会がはじまるという。ジセラによると、オンブラス・ヌール家の子どもたちは四人とも楽器を習っていたらしい。コンセプシオンはヴァイオリン、アスシオンはチェロ、ドローレスはクラリネット、そしてメルキオールはピアノが弾ける。ロシオも得意のギターで参入し、わたしを含めた他の保護者たちは延々と食後の菓子を食べながら、めいめいの楽器を手にして暖炉前に並んだ四人と、対角線上のグランドピアノの椅子に座ったメルキオールの演奏に耳をすます。十分とはいえない練習時間ながらも、毎年ちゃんと曲目を決めて事前に合奏するそうで、今年はベートーヴェンの『街の歌』とミヨーの『ヴァイオリン、クラリネットとピアノのための組曲』から一、三、四楽章、最後はメルキオールのソロでドビュッシーの『子供の領分』という内容だった。
 『街の歌』の第二楽章では、コンセプシオンのヴァイオリンが旋律を奏しているところにアスシオンのチェロが寄り添うと、メルキオールのピアノが中間の同じ旋律を引き継ぎ、ドローレスのクラリネットがメルキオールの軽快なピアノに合わせて力強くコーダへ向かう。ロシオのギターは常に四兄弟の音色を結んでいく。
 わたしも大好きな『子供の領分』は、ドビュッシーが最愛の娘に捧げた曲だからか隅々まで考え抜かれていて、音の個数こそ少ないけれど、あらゆる可能性を一音一音に託してあるように思う。ピアノに前傾姿勢で向かうメルキオールが出す低音は、ペダルを踏みなおしながら強く打鍵する。中庸の速さで、ちょっと動きをつけて、とか指示してあるはずなのにメルキオールはいつも疾駆していて、文字どおり鍵盤に襲いかかっている。むずかしい箇所なのかも、そういうところは衝撃的な身ぶりでつっけんどんな弾き方をして、まるで楽器を相手に腹でも立てているようだ。それでも時折びっくりするほどふっくらと優しい効果を出して見せもするから、その演奏は何か特異なものとして感じられた。
 五人の演奏会が終わって静寂が一度もどると、実に幸福な時間をありがとうと握手を交わすような手つきで、メルキオールは鍵盤をなでた。ゆっくりと視線を戻したところにわたしを認めると、右の眉毛をへの字に上げて「好きでしょ」と訊いてくる。こんな会話、前にもした。
「うん、好きよ」
 自分も同じことを言いながら、演奏を聞く前の胸焼けがすっかり収まっていることに気づく。トゥロンを何切れも食べるのも、赤福を食べつづける具合に困難な気がするし、実際それくらい甘いのに、何故だか食べられる。そう伝えると、三姉妹が口をそろえて言った。
「アーモンドよ」
 彼女たち曰く、スペイン産のマルコナ種アーモンドは、油脂分を多く含んでいるから味わいも香りも豊かだし、この太陽の大地で育まれた食物が人間の体に欠乏しているものを補ってくれるという。活きる力にあふれたものは、口に運ぶにつれて自己のあらゆる感覚が揺さぶられる。圧倒されるのは食物だけじゃない。
「この土地に住む人たちもアーモンドみたい」
 わたしが言うと、メルキオールは何かを確かめるような調子で、わたしの頬を横髪ごと乱暴になでていった。こうして笑われても、本当にそう思うのだから仕方ない。

 部屋の灯りを消してから、二段ベッドの上段にいるロシオと、廊下に飾られた三姉妹やメルキオールの絵はよく描けているね、と小声で話していた。歴史をひも解くことが好きなロシオは、絵画にもやたら詳しい。
「スルデバランの描いたマリアに似てねえ?」
 ロシオは唐突に、わたしのことをそう喩えた。
「プラドで見た『無原罪の御宿り』にそっくりだ」
 わたしはスルデバランの絵柄をすぐには思い出せないけれど、聖母なんて柄じゃない。それを言うなら、ロシオはゴヤが何百と描いたマハやムリーリョが見つめた市井の女性たちのように、生き生きと太陽を持ち運んでいるように輝いていて、神々しく原罪のない聖母よりも格段に美しい。
「時々とんでもないことを本気で言うよな、おまえは」
 上段から呆れ返った声が飛んでくる。
「ガキのころは無謀にも絵描きになりたくてさ、よく教会に絵を見に行ったよ」
 ほどよく筋肉質の両手を天井に向けて広げているのだろう、ロシオの二本の長い影が、窓から射しこむ月明かりのなかで動いている、まるで肩を怒らせて歩くしなやかな豹みたいに。
「本当は国外の美術館にも行ってみたい。ルーブル、バチカン、ナショナルギャラリー、ウフィツィ、エルミタージュ、アルテ・ピナコテーク、ブダペスト、メトロポリタン……フランスなんかピレネーを越えたらすぐだってのに。それでも、プラドにはメルキオールとたまに行くんだ。ベラスケスとエル・グレコを初めて見たときは、まるでゴヤのプリンシペ・ピオの丘で銃殺されるマドリード市民みたいに動けなくなった、笑えるだろ。
 楽しいことなんて、突きつめりゃ無駄なことでしかねえはずさ。でもメルキオールと出会ってから、衣食住の他にも生きるために必須のもんがあると知った」
 目を閉じると、ロシオの暗い声が渋谷駅前のスクランブル交差点の信号を赤に変え、考える天使たちは歩みを止める。
「才能がねえのはわかってるよ、でもさ」
 ダリの宇宙象が行列をなし、ものすごく細くてありえないほど長い多関節の脚を折りながら、悠然として交差点を渡っていく。見上げても胴体が遠くて見えない。宇宙象には誰が乗っているのだろうか。
「あたしもあんな絵が描きてえ」
 ロシオの魂がしぼり出される。
「あんな絵が描きてえんだ」
 そして再び、杖をついた天使の足が一定のベクトルをもって動き出す。天使は考えすぎて恐怖する。叫び声はあげられない。闇を裂くようなロシオの悲痛と、そうした光景がくり返される中で、わたしも街を闊歩する無表情のかたまりとして、何食わぬ顔をして往来の一部に逆戻り、黄金の額縁の外側にいる視点から見た場合のひとつの群体となる。灰色の狭い空から、やぶり捨てられた大量のスケッチが消費する価値もない広告をばらまくように舞い落ちてくる。わたしは個に返り、天使が踏みつけた紙片をかき集める。手のひらを食いやぶって群がる蟻たちを必死で払っている。鉛筆の線に迷いなどない。総じて力強く、すべての紙片にはメルキオールの肉体の部位が千々の角度から描かれていた。

 二十六日は聖エステーバの日、カタルーニャでは祝日が続く。昨日の煮込んだ野菜と肉をスープからとり出したら、ジセラはカネロネスを作る。残りものをこまかくすり潰し、平たいパスタで餃子のように巻いたものを並べたら、上にベシャメルソースとチーズをかけてオーブンで焼く。鴨の肉と豚の背肉、子羊の脳、子牛の肉、鳥の肝臓を合わせて挽き、古ワインと卵でまとめたものをパスタで巻く。これがけっこう難しい。ジセラに言われ、内側にキャベツを挟んで丸めると上手くいった。午後には全員そろい、昨日と同じグリーンの磁器の食卓を囲んでカネロネスを味わい、食後にロールケーキを切り分ける。このケーキは褐色の肌をもつジプシーの腕(ブラソ・デ・ヒターノ)に似ていることから、スペイン語でそう呼ばれている。ケーキの表面には、カタルーニャ風にクレマ・カタラナの焦がしキャラメルが塗られていた。
 カタルーニャでは東方の三賢者ともう一方、赤い帽子と目鼻をつけたカガティオという丸太が子どもたちに贈り物を運んでくる。悪い子には、石炭という名目の黒い砂糖の塊が渡される。ナダルの季節になると、カサ・オンブラスでもこの丸太が腰に毛布をかけた状態で飾られ、子ども時代のメルキオールは毎日なにか餌を与えて歓迎したという。
「親に言われるまま、バナナやヨーグルトを空洞になった丸太の中に置いておくんだ。翌日そこにあるものは、バナナの皮や空っぽの容器、森の精からお礼に板チョコレート。餌を食べた森の精が糞をして、その糞がぼくらへのプレゼントになる。もちろん、実際には親が子どもの目を盗んでこっそり食べてるんだけど。ナダル当日になると、ぼくらは木の杖でそいつを叩きながら〝さあ、糞を出せ!〟ってお決まりの歌をうたう。毛布をめくると出てくる大人たちからのプレゼント、全員で飛びついたよね。今じゃ現金の糞だったりして、まさに日本の〝おとし玉〟でしょ」
 この習慣の背景には、農業が生活の基盤だったカタルーニャの生活感が隠されていて、大地に恵みをもたらす排泄物を大切に扱う傾向があり––という由来は結構だけど、贈り物を出してくれる森の精なのに寄ってたかって叩くのはどうかと思う。
 わたしはジセラから手作りのスヌードをもらった。首と頭に巻くものをひとつずつ、やわらかい生地はセンドラの寝床の敷物と揃いの柄だ。海岸で拾ってきたという緑色や茶色の硝子石が、カードに添えられていた。硝子石の転がっている海と、それらを『落穂拾い』のように拾うジセラを想像し、わたしは嬉しくなった。
 山積みのプレゼントを開けたあとは、そろって映画館へ行く。メルキオールもロシオも普段は映画館へ行かない。吹替ばかりということもあり、インターネットから落とした古めの字幕映画をよく観ている。この日は、オンブラス・ヌール家の子どもたちが、一年に一回だけ映画館に連れていってもらえる日でもある。もう四人とも成人しているけれど、今年も恒例行事として全員で映画館に入って封切りされた新作を観ることになった。
 うっすら雪化粧をした村の中を歩いていく。映画館に到着すると、全員で上映作品を見上げる。アルファベット文字で上映中作品をはめこむスリットが現存する映画館だった。子どもじゃないしね、と三作品からよりにもよってアルモドバルが選ばれ、「どう見ても家族向けじゃねえよ」とロシオがわたしに目配せしてきた。
 その『私が、生きる肌』を観賞中、スペイン語の聞き取りに集中していても、脚本の大仕掛けを支える画面の美しさや混入される鮮烈な赤の印象が残った。古事記におけるイザナギとイザナミの話にもあるように、かつて愛した人をとり戻したいという願いは、古(いにしえ)から今に至るまで続く狂気であるらしい。わたしの両脇に座ったメルキオールとロシオが、言葉の意味や映画の内容を逐一教えてくれた。わたしたちの前列で、三姉妹とジセラは物語の展開について常に話しつづけ、男性陣は半分以上ほとんど寝ていた。
 鑑賞後、わたしは主人公のバンデラスが盆栽の手入れをする場面を思い出してみる。どんなに手塩にかけて育てたものでも、結局のところ母子の関係には遠く及ばないのだろうか。たまらなく母親に会いたくなるのがアルモドバル映画で、ジセラと子どもたちも実際に、どういうわけか抱きあってしまう。わたしも団子になった彼らに揉みくちゃにされて、首に巻いたジセラのスヌードにあごをうずめて幸福を感じた。
 どんな血が流れていても関係ない、自分のルーツさえわかっていたらいいとジセラは言う。そんなジセラもファイサルもメルキオールも、その血筋がどうあれ自身をカタルーニャ人と定義している。カタルーニャの民族意識は他の地方と異なり、両親がカタルーニャでなくても生まれがカタルーニャでなくても、カタルーニャ人として誇りをもって独立派の人が結構いる。カタルーニャ民族主義とは、カタルーニャという土地、言語、そして文化に対する誇りと愛によるもので、人種という観点での民族意識となると思いのほか低いように思う。地方からきた人々の文化、あるいは外国人の文化を尊重するのと同じように、自分たちの文化を大切する。それを押しつけることはしないけれど、彼らの文化に関心を持って入ろうとする人に対しては、門戸を開いて心から歓迎してくれる。大学で出会ったマドリードの友人などは、そんな彼らを度が過ぎると疎んじていて、実際そうした部分も多分にあるとは思う。
 それでも、あらゆる民族が地区ごとに混じったからこそ、スペインの多様性は生まれたのだろうし、英語がいまの国際社会における共通語なら、スペイン語はラテン世界の芸術や歴史にふれるための文化的な共通語になり得るかもしれない。そういう方針とは別に、わたしは多分、ある人そのものを、理解できるわけもないとわかっているにも関わらず、理解したくて、理解したくて、今までの自分を突き放すくらい別物の視点を、自分のなかにまるっきりない新奇の発想を必要としている。

 大晦日は無礼講の日だ。しっとりと去りゆく過去のことなど振り返ったりしないスペインでは、友人たちと大騒ぎして年越しを祝う。一張羅を着て何色にもライトアップされた夜の街へくり出し、零時の鐘の音に合わせて一二個の葡萄を飲むように食べるという具合に。この国の休日はここまで、わたしたちは二十七日にバルセロナに戻ってきていて、イグナシとロシオは大晦日からもう働き出している。バルセロナに戻ってから、イグナシに会えたのがいちばん嬉しかった。
「どうやってん、楽しんだか? 美味いもんたらふく食えたか、ちゅうても、おれの特製エスクデージャとカネロネスには勝たれへん。毎年ヒラルダの目抜き通りんとこに売れるくらい大好評やねん」
 陽気なアンダルシア訛りが、一週間ぶりでも懐かしい。
「もーほんまにな、おまえらに会いたかったわ。好きやで」
「わたしも」
 ぶつかるように抱きあい、「子どもかよ」とシャイメに茶化される。このセビルオレンジみたいに明るく健康的で、けれど渋くて生では食べられない楽天家に、わたしは何度はげまされたことか。イグナシの地元の市庁舎などは、彼の性分を表すいい例だと思う。向かって左側から中央まではオペラ座のように一見壁中びっしりと彫りこまれているのに、そこから右半分は飾り気のない外観というか、ほとんど真っ白で、理由を訊くと装飾の道半ばにして予算がなくなったから、と言っていた。しかも、モチーフはよく見ると動物と人間の合いの子のようにへんてこで、夜中に奇声でも上げそうなものばかり。そういうふうに制動装置なしでも、とにかく発進するイグナシが憎めない。

 この国では年末年始もすべてナダルに含まれるから、ナダルの飾りが年末にあっても誰も指摘したりしない。たとえ一月十五日ごろになってまだクリスマスツリーが飾ってあっても、誰も文句は言わない。一月五日の夜になると、駱駝に乗って東の方角よりやってきた三賢者が贈り物を届けてくれる。その日の盛大なパレードでは、ライエタナ通りからスペイン広場まで子ども連れの人たちで埋め尽くされ、小さい飴玉が節分の豆みたいに撒かれていた。わたしたちもプレゼント交換をして、王様の日のリング菓子(ロスコン・デ・レイス)という、オレンジの香りのパン生地をリング型に焼いたケーキを食べた。
 イグナシが焼いて砂糖漬けの果物を乗っけたロスコンの中には、陶器で出来た小さい王様か空豆が入っていて、王様が当たった人は、その日限りの王様になることができる。当然のようにメルキオールが王様を当てて紙の王冠をかぶり、一方わたしは空豆を当てたせいで、ロスコンの代金をイグナシに支払うはめになった。世の中の不条理を空豆で噛みしめながら、わたしは王様たちと飲んで笑った。