メルキオールとわたし Malgrat de Mar 記憶の固執

 

 バルセロナっ子の朝は一杯のカフェオレから始まる。バルでカフェを注文している人々を観察すると、一口にカフェオレといっても個人の好みにより注文の仕方がこまかく違い、それらの要望に国家政策などよりずっと的確に応対する店員を見ていたら、いかにコーヒーが人々の生活の中で重要な位置を占めているのかわかる。

 もちろん、わたしたちにも各自の好みがあり、カフェに並ぶと順ぐりに確固たる注文をする。
「冷たいミルクを多めに入れてください」
 これは猫舌のわたし。
「ほとんどミルク、そして室温に、コーヒーは五滴ほどで」
 これは甘党のメルキオール。
「半々に、やけどするくらい熱く」
 ロシオは南米特有の、かちっとしたリップ音付きウィンクで。
「コーヒーは倍量のカフェインなしでよろしく」
 イグナシは健康志向だ。
「氷をつけて、カップじゃなくてガラスコップに入れて」
 シャイメはめっきり寒くなった十二月もこれを譲らない。
 『ライエ』のカウンターで注文したカフェオレを飲みながら、わたしは仕事中のイグナシとクリスマス(ナダル)休暇の話をしていた。聖リシュア祭りがはじまると大聖堂の前にナダル市が現れて、市街には家族への贈りものを買いに走る人であふれる。あとから聞いた大学の友人によれば、二十五日までバルセロナは狂ったようになっていたという。「ナダルは信仰というよりも国民の日だ」とメルキオールの言うとおり、どの家庭も毎年この日にちゃんと家族一同が平和にそろうことを祝っているように見えた。
 年末年始の帰国予定はない。久しく電話しかしていない日本の友人との忘年会や同窓会はさすがに名残惜しいけれど、何しろ航空券が高くつく。
「そりゃな、おれと一緒にセビージャの実家へ来てくれはるんやったら嬉しいんやけど」
 口頭で受けた注文の数々を完璧に把握し、最小限の動きでコーヒーを淹れてミルクを添えて、ひと目で絶妙の塩梅にした見事な仕上がり品を、次々とカウンターに並べていく。イグナシの鷹揚な接客に少し見とれる。今日は店長代理らしい。
「メルキオールと一緒に行くべきや」と別れて間もないイグナシは言う。
「あいつが実家に来いて誘うてくれるんやったら、ほんまに一緒がええんや思うとるだけやで。メルキオールにとって、おまえさんは貴重な存在やろうし。その関係に友だち以上の名前を与えるんはしんどいんやけどな、ほんまに」
「ほめてるの?」
 わたしが思いきり疑ると、イグナシは唯一嫌いなホウレン草を食べたときと同じ顔をして、腰のエプロンに手を当てた。
「なんで信じてくれへんかな、おれの言うこと……ま、寂しゅうなったときに来てくれるんでもええよ。とにかく前にも言うたとおり、自分のこと自信のうて嫌いなままやと人生ずっと辛いで」
 ごめん、と思わず謝ってしまうと、露骨にため息を吐かれる。
「そうやってすぐ謝るんもやめてや、自分に非があるわけちゃうし。ええも悪いも日本人はへらへら謝るんで、何考えとんのかさっぱりわからへんわ」
「うん、ごめんね」
 今度は清々しく笑われて、カウンター越しに抱きしめられる。それから厨房へ一度ひっこんだイグナシは、片手にポストレの皿をのせて出てきた。注文していない一品がわたしの前に置かれる。
「セビージャ産オレンジとレリダ産アーモンドのケーキ、召し上がれ」
 髭に埋もれた口が横にのびてにっこり笑う。
「新作?」
「実験や」
 バレンシアの名がついた甘いオレンジと違い、セビルオレンジはベルガモットみたいに苦くて生では食べられない。地元セビージャでは、路地の並木として実をつける以外にさしたる用途がなく、冬の収穫期になるとイギリスに大量に売りさばかれるそうだ。香り高く苦味の効いたマーマレードはイギリス人好みだろうけど、スペイン人からしてみれば、あんなオレンジを食べるなんてイギリス人は本当に舌がいかれてる、となる。道端に転がる地元のオレンジを、もっと料理に活かしたいとイグナシは考えていた。
 イグナシのこういう〝実験〟はとびきり美味しい。今回も、オレンジの配合だけ変えて数種類のパターンを焼成したあと、それらの違いを比べたり、高価で買えない瓶詰めシロップを試食と写真から想像して試作したり、さらに余った砂糖煮と皮のすりおろしを混ぜて、ショートブレッドとフィナンシェまで焼いたという。
「さっきのメルキオールのことな」
 イグナシが口を尖らせて、わたしをオレンジの誘惑から引き戻す。
「基本的にお喋りちゃうねん、あいつ。ちゃんと話してくれたら周りも納得できるっちゅうもんやけど、聞いたときには事後報告ってなことがざらにある––日本に留学するんも出国の七日前に聞いたわ」
「それでもメルキオールの行動は全部、今をより良くするためなのよ。このオレンジの実験みたいに」
 わたしは目の前の実験結果を観察しながら言った。
「そうかもしらん」とイグナシはカウンターに頬杖をついて頷く。「時々おまえはダリかって言いとうなったり、ほっぽらかしといたら、人並みの生活すら忘れてまう性分は健在やけど、なんや人生くだらんわー阿呆らしわー思うてた坊主が、いっぺん地球の裏側へ行ってからえらい楽しそうや。去年はしょっちゅう自分らのこと話してくれたんやで」
 イグナシから聞いて素直に嬉しく思う。メルキオールが帰国したあとは、遠くにいないと出来ないことをしようと心掛けていた。ニュースにはならないような現地情報を教えあい、その日の食事や景色の写真を見せあい、相手の国では中々買えないものを送りあい、目覚めて最初に画面の向こうに沈む夕日を見る。
 あまり必要のない荷物を郵送であとから受けとるみたいに、自分の体が届くのを待つほかは、わたしは去年からもうバルセロナにいたのだと思う。手術したメルキオールの目玉を見たとき、わたしにとってこの目で見るものがバルセロナそのものだったと、小さな器官に広がる世界に感謝したのだった。
「実験結果はどうや」
 イグナシが問う。丸茹でにしたオレンジ全部をアーモンド生地に焼きこんだという苦味も効いたケーキは、小麦粉とバターを使っていないため、あまり膨らまずにしっとりしている。果汁入りのシロップで煮含めた皮の砂糖煮も添えられ、あっさりと甘い。
「再発見」
 わたしは答える。コロンブスの卵、サルバドール・ダリのパン、そしてイグナシオのオレンジだ。
「自分が何によって生かされとって、命がどうやってつながっとるんか。食べもんを〝いただきます〟言うてありがたいと思える日本なら、おんなしように、ありがたい命をもろうて自分の命がつくられてるんやし、自分もありがたいんやって感じられへん? ま、考えてみてや」
 生も死も、食べることも、性欲すら漫然としたひとつの営みになっているイグナシがうらやましい。 より美味しい状態で命を食べるために料理をすることは、なんとなく神事に近いと、わたしは思う。


 ナダル前日の午後から、わたしとロシオと彼女の父親レアンドロ、そしてメルキオールの四人は、一時間半ほど列車に揺られていた。サンツ駅から出発した列車が、薄紫の空に浮かんだ地中海沿岸を北へ北へと走っていく。列車を降りたとたん、夕暮れの冷気が足下から吹きあがり、思わずコートの襟を立てる。夏の似合う地中海がうそのように寒い。

 バルセロナの北端に位置するマルグラット・デ・マルは小さな夏の行楽地で、ここより北上したブラネスの先からフランスまでコスタ・ブラバという美しい海岸線がつづく。マルグラット駅前にあるナダルの電飾で囲まれた四角い広場を抜けた先、すぐ右に入る路地の両脇にきっちり並んだ白と栗色のテラスハウスの一角が、メルキオールの実家だという。まっすぐ伸びる石畳の通りは、平らでゴミひとつなく整然としていて、家々の高さもあるからかどこか室内の大理石の上を歩いているような気がする。夏場は観光客で賑わうそうだけど、冬場はナダルの電飾も控えめで人通りがない。バルセロナ市街にあふれる騒音と汚れと色彩と轟音から離れたマルグラット村は、ダリの『記憶の固執』へと入りこんだように時間が止まって見える。
 メルキオールが木製の薄い開き戸を叩くと、彼より白い肌の色をした初老の女性が出てきた。豊かな銀髪が方々に伸びていて、なんとも立派な鷲鼻に乗っかった小さい丸眼鏡がよく似合う。首を突き出すように、少し背を屈めて黒いショールを羽織った立ち姿は、読書に没頭しているメルキオールの上半身とそっくりだ。
「ぼくの母ジセラ」
 メルキオールが日本語で紹介してくれた。ジセラは異国の言葉を話す息子をまじまじと見ている。
「父は七つ家のとなり、祖母と一緒に住んでる。姉たちは明日に来るよ」
 小さい丸眼鏡の奥にある目は、メルキオールと同じようにくぼんでいるけれど、その眼光は鋭いというよりもオリーブの実を嵌めこんだようにまんまるく見える。チョコレートみたいな笑みがクーランよりひび割れたしわの濃い顔から溶け出し、わたしたちの訪問を歓迎してくれた。ロシオもレアンドロも再会を喜んでいて、わたしは自分が大麻入りの余りものクーランにならないか、すこし心配だった。


 ジセラの家はきれいに片づき、ログキャビン風の居間には暖炉がある。わたしにとって暖炉というものは、家族のまとまりの象徴だ。どんな映画でも、暖炉のマントルピースには家族の肖像が当然のように飾られているし、食卓を囲んで談笑している背景にもされている。ジセラの家のマントルピースにも、映画の舞台装置のように家族の集合写真がちゃんとあった。メルキオールと三人の姉のクリスマスや誕生日、完璧な角度と白い歯で決めた卒業式の笑顔、リスボンの港での休日、ティビダボの遊園地、南フランスの葡萄狩り––どの写真を見ても、同じ笑顔の家族の肖像がある。絵に描いたような〝良い子〟のメルキオールを見ると、なんだか違う人間のように思えた。

 パキスタン人の父とパレスチナ難民の母を持つクウェート人のファイサルと、祖先がオスマン帝国崩壊時にトルコから移民してきたという東欧ユダヤ系スペイン人のジセラ、ふたりの間に生まれた末っ子メルキオール。三人の姉は異父兄弟で、彼女らの実父は三人が幼いころに交通事故で亡くなっている。そのあとジセラはファイサルと出会って再婚したけれど、メルキオールの大学入学を機にきわめて円満に離婚することを決めたと、日本にいるときメルキオールから聞いている。とはいえ、ファイサルは十字路を隔てて七軒隣りに住んでいるから、ナダルどころかいつでも会える。その気がなくとも遭遇すると言ったほうが正しい。
 ジセラは〝灰(センドラ)〟という名前の耳が垂れた三毛猫を飼っていて、子犬のように飼い主についていくセンドラを大層かわいがっている。メルキオールのほうは、センドラを毛玉みたいにかわいがるせいで、彼女にあまり好かれていない。
 台所の裏手口から出ると四角い庭がある。芝生のふたつの側面には見事なオリーブの木が一本そびえ立ち、大粒の実をつけているのが夜目でもわかる。根本に花壇やハーブの壺も置いてある。その昔、馬を飼っていたというから納屋もついていて、今では物置として使われている即席の棚に、メルキオールたちの教科書や古本が無造作に詰めこまれていた––ロルカやビセンテの詩集も。廊下の壁に飾られたメルキオールや三姉妹の描いた絵のほうが、集合写真より如実に成長を表せているのが面白い。
 ジセラはもともと、修道院の高位修道女だったらしい。村人から〝魔女さん〟と呼ばれているけれど、もちろん誰も彼女が魔法を使えるとは思っていない。ジセラが植物や動物の生態に詳しく、自分で作った薬を村人に分けてあげるからだ。台所の奥にある冷んやりとした倉庫には、生ハムやフエを吊り下げてあるほか、ラベルのない薬品と思わしき小瓶の数々が調味料と同じように並んでいる。
「あそこ、新しく調剤した?」
 毎年ここに来ているロシオが、棚上の瓶のひとつを指差して訊いた。ジセラは頷く。
「薄荷の花と葉っぱ、アンゼリカの根をすり潰したもの、レモンの皮、シナモン、コリアンダーにクローブ。それを水とアルコールに三週間ほど漬けておくの」
「つまりヒステリーの薬だ」
 ロシオが耳打ちしてくれる。
 部屋の隅には干した茸とカモミール、それにローズマリーが入った籠がいくつも置かれている。わたしが籠を不思議がっているのを察したのか、ジセラは茸について話しはじめた。
「秋になると車で山へ行くの。そこで一年分の茸が採れるからね。これはルシニョール。こっちがセープ茸、どう調理しても上品な味になるから一番いい値で売れるのよ」
 ルシニョール、と聞いて画家を思い浮かべるわたしに気づいたメルキオールが吹き出した。
「茸に絵筆は握れないでしょ」
 茸と同名の画家について、メルキオールはジセラに楽しげに説明する。
「ぼくが特に覚えてるのは、シッチェスにある彼のアトリエの絵だ、日本の屏風が描かれてる。屏風の横に立つルシニョールの娘が画家の父を見つめる構図と、細部まで描きこまれた植物、それが本当に良くて。ジャポニズムに生きた人たちには、まるで浮世絵を描いてるように独特な世界があると思う。フォルトゥニーも好きだ」
 それからジセラは「これを見てごらん」とさらに茸の説明をしてくれる。
「〝死者のトランペット〟だろ」
 ロシオが覗きこんだ。ロシオも食材には詳しい。
「見た目は気味が悪くても味は抜群よ。粉にしてスープや米料理に入れると、香りがぐんと良くなる。死人と茸って実は相性がいいの。死者を祭る万聖節には雨が降ることが多いけど、この茸はその時期に雨を吸って生えるし、墓地の近くで採れたキノコは美味しいって昔から言うしね」
「もう何度も聞く話、寝るまで続く」
 うしろのメルキオールが日本語でぼやく。
「座ってちょうだい」とうろうろし出したジセラに言われても座れないわたしを、メルキオールが毎度のごとく肩を押しつける強引さで椅子につかせ、自分は倉庫へ入ると田舎パンと生肉の皿を出してきた。二種類の肉を指して「鹿と兎ね」と教えてくれる。どちらも食べたことがない。ロシオは台所で鼻歌を口ずさみながら、パン・トマカ用のトマトと数種類のチーズを大皿に盛りつけている。わたしもメルキオールが運んできた田舎パンにナイフを入れる。
「ガリシア人のパン屋とフランス人のパン屋、すごく悩んだみたい。いつもはメルカドーナの三本入ったやつだ」
 日本語で耳打ちするメルキオールに驚く。どうして、と訊けば首を傾げた。
「ガリシアのパンはポルトガルっぽい、フランスのパンは高い。どっちもスペインのより美味しいからと思う」
 そうじゃなくて、と言いかけて、ジセラが戸棚へ分け入るようにして、しきりに何かを見比べていることに気づく。
「きみのため、いちばんいいお皿を探してる」
 メルキオールが呆れたように言った。きれいに磨かれた洋白(アルパカ)の皿は、よく使いこまれて白銀色に鈍くひかっている。レストランの真新しいピューターとは趣の違うやわらかな銀が目の前に置かれると、虚血のように苦しくなり、ぼんやり映る涙ぐんだ自分の顔をひどく情けなく思う。何かとてつもないものが胸に迫り、心が耐えられない。こんなにいいものを差し出されても、この〝いいもの〟を使う資格が果たして自分にあるのだろうか。ディケンズの『クリスマスキャロル』を思い出す。
 メルキオールは暖炉の炭を手際よくかき出し、常備してある薪をさらにくべて火加減を調節すると、分厚い鹿肉とスライスしたパンを金網でしっかり挟んで火にかけた。金網の中から肉の脂がしたたり落ちてくる。全員が席につくと、わたしは平静を装うも、体内をめぐる血の動きがうるさくて落ち着かない。
「ぼくは山羊いらない」
 聖夜にふさわしい静けさのなか、メルキオールが食卓をながめながら言う。
「あなた、チーズ好きでしょう」
 ジセラは頬に手をあてる。
「好きじゃない、好きだったこともない」
「あらそう、コンセプシオンとアスンシオンは好物よね、ロシオも食べるでしょう。それじゃ下の子たち、ドローレスとメルキオールが食べられないのね。まあ、困るわ、好き嫌いも子どものときと変わるもんだわ」
「変わってない、ずっと嫌いだってば」
 メルキオールが思春期のごとく鬱陶しさを全面に出し、返事をするものだから、今度はわたしが吹き出す番だった。
 パンに網目の焦げがついたら、半分に切ったトマトをこすりつけ、オリーブ油をたっぷりとたらして塩を振る。焼いた鹿肉とからからに干した兎肉は、ニンニクとレモン汁の入ったオリーブ油でつくるアリオリソースを添えた〝いちばんいいお皿〟に盛られた。わたしの鼻先から硝子のフラスコに注がれているのは赤ワインだ。身に余る扱いを受けているうしろめたさに、先ほどから心は平衡感覚を失っている。
 才知で気の利くロシオは、無口なレアンドロを半ば強引に会話させながら食事をする。ロシオの母親は十年以上前に病死してしまったけれど、ロシオは彼女のノキアに保存してある家族の写真を嬉しそうに見せてくれた。
「可愛い娘が生まれるってとき、父さんがさ、出来もしねえのに自転車に乗って山をくだろうとしたんだ、しかも両手放しになんかして! 案の定、段差をおりるのを失敗して頭からすっ転んじまった。地面に打ちつけた頭から血が流れたもんだから、シャツを脱いで頭にあてて、変な方向にゆがんだ自転車を押しながら山のふもとのバルまで行って、救急車を呼んでもらってんの。アルゼンチンの片田舎だ、確かに向かう先は同じ病院には違いねえが阿呆すぎる。なあ、父さん––病院に着いたとたん、産婦人科へ行けねえまま担架で運ばれて、麻酔されて、頭のてっぺんの少し横を合計九針だっけ? そうそう、最初の数針は麻酔が効いてたが、後半は全然効いてなかったんだと。針を刺して、糸を通して、皮膚を引っ張ってんのが見なくても全部わかるんだ。痛かったら言ってね、なんて若い女医に言われても、む、むすめが、おれの子が産まれちまうって情けなく叫ぶしかないわけ。不幸中の幸いか、手術は案外すぐに終わって、最後に破傷風のワクチンを打っておしまい。傷口に包帯もあてずに血まみれのシャツを持って上半身裸の父さんが戸惑ってると、看護師から前開きの患者服をわたされた。血まみれよりはいいだろうと思った父さんは、貧血でふらつきながらそれを着て、産婦人科へ急いだんだ。産まれたばかりの赤ん坊、つまり、あたしを抱いた母さんのもとへ飛んできた父さんの格好ときたら、これが笑い草でさ、坊主頭に生々しい縫い痕がむき出しで、まるで手術室から脱走してきたみたいな緑色の服を着て、おまけに手中の布と靴にはべったり血がついてるときた」
 メルキオールたちはロシオの話を聞きながら、となりで苦笑いするレアンドロを見て余計に笑う。
「あなたの日本の家族はどう?」
 そこまでは何とかなったけれど、この避けられない質問こそわたしの最も苦手とするところで、手のひらが汗ばんでいくのを感じる。いつも悪事を咎められたようになる。
 どうもこうも何もない。母子家庭の一人っ子です、としか説明しようがない。人に話せるような楽しい話など皆目見当がつかない。霞の日に生まれたから、それと同じ名前をもらった。ひどい虐待があったわけでもなく、家族で共同作業をした覚えもない。そこらで買える安いものを主なエネルギー源として、調理をするには資格がいるものと長いこと勘違いしていた。掃除も洗濯も個人でする。同じ屋根の下にはいたけれど、あいさつも含めて会話はめったに発生しない。ぼんやり過ぎる毎日だったから、本当に一〇年くらい記憶がない。どういう親戚が何人いるのかも知らない。たまに初めて会う血縁がいても、たいてい棺を通して挨拶する。わたしが独立するまでに借り入れた多額の金と労力を、十五のころから無理のないローンで返済している。
「こういうの、日本では取り立てて珍しいことじゃないんです」と言ってから、適当な作り話をしておけばいいのにと後悔する。
 どうやっても面白おかしくならないし、もちろん写真なんて一枚もないから、まったく無縁の地元の見どころを紹介して間を保たせようとしたところで、メルキオールがバルセロナの観光地へと話題をかえてくれた。
 シウタデージャとアイシャンプラはもう大方歩いたとか、サリア方面に点在するガウディへはまだ連れて行けていないとか、そういう大量の情報を密に交換したいとき、彼らは大抵まわりを意識しないでカタルーニャ語になっている。ずっと聞いていると、カタルーニャ語の弱い音はすべて口内にこもっているような弱い〝ア〟のあいまい母音になり、その音が彼らの言語に陰影の美しさを与えているように感じる。
「サグラダ・ファミリアは見学したかしら、ガウディは賢い建築家よね」
 ひと段落したところで、ジセラはこちらに向き直り、気遣ってくれる。
「庭のオリーブの木を見てごらん。根が張って幹がある、その上で枝が水平に広がってる。どんなに立派な教会でも、土台と柱があるなら結局はオリーブの木と一緒なんだわ。シュロの葉とかね、左右対称できれいでしょう。あなたの指紋ひとつにしてもそう、そんなバランスのいい螺旋は中々つくれるもんじゃない」
 薪の爆ぜる音が体の芯にしみてくる。楢の木の香りは食材へと移り、いっそう旨みが増した鹿肉はとても美味しい。カマンベールチーズが舌の上で溶けていく。なるほど、すべては自然の中にある。
「そうさ、人間ができることなんて、せいぜいそれをちゃんと写すことくらいのもんだ」
 レアンドロのこぼしてゆくパン屑をすくいとりつつ、ロシオが何を今さらというふうに言った。